オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『カサノバ』

Il Casanova di Federico Fellini(Fellini's Casanova), 154min

監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:ドナルド・サザーランド、ティナ・オーモン

他:アカデミー賞衣装デザイン賞(ダニロ・ドナティ)

★★★

概要

稀代の性豪ジャコモ・カサノヴァの半生。

短評

この映画やカサノヴァの生き様から何を学ぶべきかといった事はさっぱり分からない。本作が描く彼の意味不明レベルに奔放な性生活は断片的であり、全体として一つの物語を構成しているようには思えなかった。ただし、紹介されるエピソードそのものや描き方の珍妙さには驚かされるものがあり、「わけは分からんけど凄いな」というタイプの面白さを感じる猥雑が極まった一作だった。

あらすじ

ヴェネツィア出身、稀代の性豪ジャコモ・カサノバドナルド・サザーランド)。尼僧と交わり、投獄され(伯爵夫人や気絶少女アンナ・マリアと交わった記憶を回想する)、脱獄して、侯爵夫人の老婆と交わり、男装の美女アンリエット(ティナ・オーモン)と交わり、希死念慮に駆られ、御者との絶倫バトルに勝利し、母に会い、人形と交わり、司書として老いる。

感想

超絶好色男のカサノバ。彼は一応作家とのことだが、女と交わることだけで成立しているような生涯だった。とにかくヤリまくりである。しかしながら、本作は極めて下品ではあっても生々しさは全くなかった。尼僧との交合はアクロバティックなダンスにしか見えず(覗き男は「全体的には良いが正常位は普通」と講評)、侯爵夫人との交合は完全にギャグ、絶倫バトルは文字通りのスポーツである。セックスというものがいかなる行為なのかゲシュタルト崩壊しそうである。

カサノバ本人もヤリ過ぎてわけが分からなくなっていたのだろうか。交合シーンも気持ち良さそうな表情ではなかったし、「マカロニ食べたい!」と喚き散らす晩年の描写はかなり悲壮感を帯びている。彼の貴族的な誇りや教養は無残に吹き飛ばされ、元気なジョニーの象徴だった鳥もボロボロ。映画はかつて交わった人形(Adele Angela Lojodice。よくできた仮面で顔が本物の人形に見える)とダンスする幻想的なシーンで締めくくられており、最期の時まで性への執着から離れられなかった虚しい人生であることが窺える。渦巻く女性器に人間が吸い込まれていく絵画が象徴していただろうか。男なら誰しも一度は憧れるプレイボーイ生活も、端から見るほどよいものではないらしい。

セックス一色の映画なので、印象的なセックスについて記しておく。侯爵夫人の老婆との交合。老婆曰く「私は身籠る必要がある。死を迎える時に生まれてくる男児に生まれ変わって永遠に生きるの」。何を言っているのか分からないが、協力を惜しまないのがカサノバである。それでも老婆相手では息子への血液流入量が少ないらしく、偶然出会った弟の恋人を助手に頑張っていた。助手は豊満な尻を振り振り踊ってカサノバを元気にし、なんとか挿入を果たした後にも同じダンスで血液の逆流を防いでいる。

もう一つは絶倫バトル。一時間に何度交われるかという早漏が有利な種目である。相手の女性を何度絶頂させたかの方が“男”としての能力を誇示できそうだが、絶頂の定義が不明確で競技に向いていないし、発射回数の多さは動物的な“雄”としての有能さを示す指標となるのだろう(カサノバが勝負を受けたのは別の部分を争うためだったはずだが……)。カサノバは対決に備えて生卵の丸飲みで精力アップを図り、腰をグルグルと回して準備運動している。必死か。好みの美女ロマーナ(Veronica Nava)を相手に強制指名していたし(対戦相手はおばさんから逆指名)、どうしても負けたくなかったらしい。

貴族の男たちが頭頂部付近まで髪の毛を剃り上げる不思議な髪型をしている。これはもしかして生え際が後退するよりも先に剃っておけば、ハゲても見た目がそのままという理屈だったりするのだろうか。ちょんまげや辮髪が髪を剃るのも同じ理由なのかもしれない。本当は違うのかもしれないが、現在坊主頭の三十郎氏はハゲても外観の変化が少ないことを密かに期待している。

カサノバ曰く「優しく理性的という女性を優位にするはずの資質が逆に彼女たちを不利にする。男は理不尽で残忍で粗暴で冷酷だから」。モテたければ似非フェミニストであれ。

嵐の海をビニールシートで表現するという斬新な演出に驚愕した。どういう意図なのだろう。

カサノバ (字幕版)

カサノバ (字幕版)

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カサノヴァ回想録 1

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  • 発売日: 1968/10/20
  • メディア: 単行本