オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『殺人狂時代』

Monsieur Verdoux, 124min

監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、マーサ・レイ

★★★

概要

小金持ちの年増女を専門に狙う連続殺人犯の話。

短評

チャップリンが初めて声を発した『独裁者』以降の作品であるため、全編が普通にトーキー映画である。チャップリンには役名が付き、いつもと違う立派なスーツを着込み、髭も横幅が広がっている。ところどころで“らしい”笑いを見せるものの、大幅に喜劇色の抑えられたチャップリンらしくない一作となっている。しかしながら、「殺人はビジネス」と言って憚らない主人公による戦争への風刺は、現代にも十分に通用する射程を有している。アンリ・デジレ・ランドリューというシリアルキラーがモデルなのだとか。

あらすじ

「女を殺すことを生業としていた」と生前を語るアンリ・ヴェルドゥ(チャールズ・チャップリン)の墓から物語は始まる。勤続30年の銀行を不況の煽りで解雇されたヴェルドゥは、車椅子の妻(メイディ・コレル)と息子を養うため、小金持ちの年増女を次々と騙しては金をせしめる二重生活を送っていた。女にあの手この手で預金を解約させては殺害し、手にした金を投資と家族の扶養に回す。そして、次の女に魔の手を伸ばしていく。

感想

ヴェルドゥはシリアルキラーで紛れもない“悪人”なのだが、本人にそのつもりはない。殺しはあくまで“ビジネス”である。不況で仕事を失い、家族を養うための“仕方のない”行為であると考えている。仕事なのだから罪悪感もないというわけである(なんてアイヒマン的な!)。その「ビジネスとしての殺人」を戦争に重ねて批判するのが本作の大まかな内容である。本作は興行的に失敗したようだが、終戦の二年後に「戦争だろうと人殺しは人殺し」と主張するような内容であれば仕方がない。「一人殺せば悪党だが百万殺せば英雄」という言葉は、当時の観客よりも現代人の方がその意味を受け入れやすいのではないか。

かつて戦争は領主たちの領土争いに過ぎなかったが、民主主義の勃興により“大義”が必要となり、現代は大義有権者を騙すための“ただの言葉”となりかけているように思う。石油が欲しいだけなのを隠すつもりがないような戦争が顕著な例と言えるだろう。本作が公開された1947年は正に大義が勝利した時代だったはずなのに、戦争の普遍的な性質を見抜いて批判したチャップリンの着眼点の鋭さには感銘を受ける。反面、赤狩りで辛い思いをしたようだが、大衆が一つの流れに乗せられている時に、その流れに逆らう人は絶対に必要なのだ。

本作はトーキーだが、台詞で笑いを取るシーンはほぼなく、サイレント時代と同じく動きで笑わせていた。大げさな身体の動きで状況や感情を説明する必要がなくなったため、必然的に笑えるシーンも制限されている。その代わりにヴェルドゥの存在自体がブラック・コメディという状況を生み出している。高速札束カウントで指だけが動いて札が動いていなかったり、殺そうとしても死んでくれないアナベラとの攻防は従来通りの笑いだった。

亡き夫が戦傷者であると話したことからヴェルドゥに犯行を思い止まらせ、後に軍需企業の経営者と出会って成功した女。戦争への嫌悪に救われた女が、戦争を食い物にする立場に変わっている。世界は皮肉で出来ている。演じているのはマリリン・ナッシュ。どことなくキーラ・コルピに似た顔立ちの美女である。ロサンゼルス旅行中にチャップリンと出会い、即座に出演契約を結んだのだとか(Wikipedia参照)。キーラ・コルピが大好きな三十郎氏好みの女性なのだが、本作の他には一本の映画と二本のTVドラマにしか出演していないようである。勿体ない。

ヴェルドゥが死んだ妻子のことを「恐怖と不安に生きるより幸せだろう」と評する台詞が好きである。第一義的には社会批判が込められているのだろうが、三十郎氏は人が死んだ時にこの考え方を採用することにしている。

殺人狂時代 Monsieur Verdoux [Blu-ray]

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  • 発売日: 2016/12/22
  • メディア: Blu-ray