オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』

The Killing of A Chinese Bookie, 134min

監督:ジョン・カサヴェテス 出演:ベン・ギャザラ、ティモシー・ケリー

★★

概要

借金のカタに汚れ仕事をさせられる話。

短評

「主人公がバカなだけじゃん」で鑑賞中の思考が止まってしまった一作。自身の経営するクラブを狂おしいまでに愛する男の姿を描いているのだが、映画として切り取られた部分からは理由が見えてこない。また、本作の物語的な部分である暗殺がこれとは無関係である。ストリップクラブという桃色な舞台が辛うじて興味を繋いでくれたものの、それはさながらクラブのステージで演じられる下手くそなショーにおける踊り子の裸のようであった。

あらすじ

借金を完済したストリップクラブのオーナー、コズモ。これを祝おうと、店の踊り子たちを連れ出し、客に紹介された店でのポーカーに繰り出す。しかし、結果は大敗。またもや借金(23000ドル)を背負い込むこととなる。返済の見込みもないことから、マフィアにライバルの中国系ノミ屋(チャイニーズ・ブッキー)を暗殺するよう指示される。

感想

これまでに観てきたカサヴェテス作品の登場人物たちも破滅的な生き方をしているように見えるが、これは「ダメな人がダメなことをしてダメになっていく」タイプの底辺映画なのだろうか。「借金を完済したお祝いだ!」からの「ギャンブルでまた借金だ!」なんて、ただの阿呆である。愛するクラブに投資するための借金でもない。三十郎氏はこの導入部でコズモについていけなくなった。どんなに哀愁を漂わせている風でも阿呆は阿呆である。いい年して何やってんだ。お祝いに連れ出された女性陣も「気が重い」「早く帰りたい」と愚痴っているし、終始おっさんの独りよがり感があった。

おっさんとはこういう生き物なのだと自身を重ねてみたり、こんな生き方もあるのかと思いを馳せてみるのもよいかもしれないが、彼の生き様は“何故か憧れる”タイプの格好悪さではなかったように思う。人には格好悪く生きる自由があるが、本作はその生き方を愛おしく感じさせてはくれなかった。

映画の“本編”はコズモの人物像、“メインプロット”は暗殺である。後者は娯楽作品的に面白そうな設定なのだが、淡々と描かれる前者のせいで物語が一向に進まず、かなり焦らされてしまった。監督が“見せたい”部分と観客が“見たい”部分に齟齬が生じるような失敗構成だったように思う。最初から前者だけに集中させたいのなら、後者の“過剰に面白そうな”設定を変えるべきだろう。

暗殺パートは割と好きである。任務遂行中でもクラブの様子が気になって仕方がないコズモの姿からは彼の人物像の一端が読み取れる。また、必要以上にじりじりと進行する描き方からは、素人が暗殺を押し付けられた時の緊張が感じられた。

ストリップクラブが舞台なので当然おっぱいが出てくる。ステージで放り出される大きなおっぱいは素敵である。一方で、控室でのシーンはおっぱいが映らないような工夫がされており(鏡に写ってもボヤケていたり、カメラの移動により腕で隠れたりする)、「見世物」としての性格が強調されていたように思う(例外あり)。

顔のアップが好きなのはよく分かったが、暗い場面だと何をしているのか分からないだけだったりする。この撮影手法への愛に対してまで固執する必要はない。臨機応変に。

冒頭に登場する「謀殺地下老闆」という漢字のタイトル。「闆」という字は「ハン、ヘン」と読み、オーナーを意味するのだとか。