オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『家族の肖像』

Gruppo di famiglia in un interno(Conversation Piece), 121min

監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:バート・ランカスターヘルムート・バーガー

★★★

概要

老教授の平穏な生活が乱される話。

短評

三十郎氏の視点だと、(ヴィスコンティ本人のセクシャリティを投影した)バイセクシャルの老人が美青年に振り回されて、「まあ、これも悪くない」みたいな話である。そこにいかにもヴィスコンティ的な貴族の話が乗っかって、彼らの関係がそのまま貴族社会の崩壊の暗喩となっているような印象を受けた。教授の隠し部屋付きの書斎が素敵なので、あんな部屋で読書と物書きをしてみたいけれど、却って落ち着かないだろう。

あらすじ

絵画と書物に囲まれたローマの一室で静かに暮らす老教授(バート・ランカスター)。彼の元に「上の部屋を貸してくれ」と伯爵夫人ビアンカシルヴァーナ・マンガーノ)が乗り込んでくる。「静寂が崩れる」と嫌がる教授だったが、ゴリ押しと絵画による懐柔策に屈してしまう。上階にビアンカの愛人コンラッドヘルムート・バーガー)が住みはじめ、許可なく部屋を改装(=破壊)して教授と揉めるも、絵画の知識という共通点から交流を深めていく。

感想

序盤はちょっとしたホラー映画である。ビアンカは図々しさの権化であり、彼女の娘リエッタ(クラウディア・マルサーニ)や愛人コンラッドもまるで話が通じない。教授の声を一切聞き入れることなく一方的に話し続ける。教授には彼らの要求を呑むより他に為す術がなく、宇宙人の侵略を受けたかのような恐怖を感じた。彼と同じく“自分だけの平穏”を愛してやまない三十郎氏としては、ビアンカ一行に対する苛立ちと嫌悪感が凄まじく、居心地の悪い時間であった。ビアンカが教授の家政婦を我が物顔でこき使っているのだが、貴族の感覚ではあれが普通なのだろうか。理解に苦しむ。

ヴィスコンティバイセクシャルで、ヘルムート・バーガーは彼の愛人だったとのことなので、教授からコンラッドへの感情もそれに近いものとなっているように思われる。「老人だけど美青年に翻弄されたい!」みたいな歪んだ感情を、劇中ではオーデンの詩から「美しき者を追い求めよ。少年でも少女でも抱き締めろ。恥じらうな、ためらうな、人生は短い。心のおもむくままに求め合え。墓場に快楽はない」と引用し、正当化している。

これを三十郎氏に当て嵌めてみると、「おっさんだって可愛い女子高生に振り回されてみたい!」みたいな話になるのか(年齢差をそのまま適用すると幼稚園児とかになるが、感覚的には女子高生でいいと思う。幼稚園児だと後述の理解以前の問題になるので)。気味の悪い話である。決して発露せず封印しておきたい感情である。更に気持ち悪いのは、自分が求めて行動を起こすのではなく、女子高生の方が自分の元に降ってくるラピュタ的な発想があるところで、これではまるで萌アニメである。教授の絵画収集癖だって「生身よりも二次元」みたいな話ではないか。ただ、恥ずかしながら三十郎氏にもこの種の願望があることを否定できない。

しかし、女子高生ならぬ美青年とキャッキャウフフする話で終わらないのが萌アニメとの違いである。ここまで読んで「俺たちはヴィスコンティの流れを汲むインテリなのだ!」なんて思ったオタクがいれば反省を求めたい(三十郎氏はした)。教授とコンラッドは仲を深めるものの、世代間の隔絶を埋めることは叶わず、悲劇的結末を迎える。コンラッドは過激派の共産主義者であり、ヴィスコンティ本人も貴族の出自でありながら共産主義に傾倒していたとのことなので、この隔絶には自身の経験が反映されているのだろうか。要するに、おっさんと女子高生は根本的に理解し合えないのだ。「娘を見るような目で……」なんて言ってもダメなものはダメなのだ。

もっとも教授が俗世に迎合していればビアンカの如き魔女との生活が待っていたかもしれないわけで、孤独なる者は災いではなかったと思う。女子高生も幻影を追い掛けるからこそ美しく映るのだ。

教授はかつて科学者でありながら、現在は芸術に傾倒する生活を送っている。コンラッド共産主義者でありながら、貴族の愛人という生活に甘んじている。彼らが終盤に繰り広げる左右の論争が現代で意味を持つとは思えないが、キャラクターの重層性という点では興味深かった。きっと本当はもっとハイコンテクストな映画のはずである。

家族の肖像

家族の肖像

  • メディア: Prime Video