オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『嗤う分身』

The Double, 92min

監督:リチャード・アイオアディ 出演:ジェシー・アイゼンバーグミア・ワシコウスカ

★★★

概要

自分とは対照的な自分が出現する話。

短評

ドストエフスキーの『二重人格(分身)』の映画化である。ドストエフスキーが原作なのでちゃんと意味の込められた物語なのだろうが、よく分からないまま雰囲気映画として消化してしまった。分身の存在が掴めそうで掴めない。時代も舞台も分からないレトロなディストピア感のある世界は楽しめる。思い浮かぶ言葉は、不気味、奇妙、不条理、悪夢的といった辺りだろうか。ミア・ワシコウスカは本作の髪型が似合っていて好きである。

あらすじ

主人公はサイモン・ジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)。ガラ空きの電車で「そこは俺の席だ」と言われれば席を譲る弱気な男であり、在籍七年目の会社では上司から「お前は新人か?スタンリー」と顔も名前も覚えてもらえない存在感の薄い男である。彼は会社のコピー係で向かいのマンションに住むハナ(ミア・ワシコウスカ)に思いを寄せており、毎晩望遠鏡で彼女の部屋を覗いてはゴミを回収するストーキング生活を送っている。ある日、彼の職場にサイモンにそっくりなジェームズ・サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)が現れる。

感想

「弱気」と「薄い存在感」がサイモンを表すキーワードである。一方のジェームズは「強気」で「存在感」もある。二人は対照的である。ジェームズはサイモンにとっての“理想の自分(=別人格)”なのかと思ったら、彼らは互いに独立して活動している──と思っていたら、終盤に二人が同一人物としての性質を備えていることが明らかにされる。

やはり彼らは同一人物であり、二重人格だったということでよいのだろうか。原作の邦題からして『二重人格』なわけで。ジェームズが新人として入社してきたことが周囲に受け入れられているのは、サイモンの薄いどころではない存在感のなせる技なのか。ハリスはサイモンの存在を認識しているらしいのに、それでも気付かないなんて酷すぎる。

サイモンの存在感の薄さが極まっているのは、ジェームズに覗きをバラされた後のハナの反応である。「覗いてるのは別にいいの。ところでジェームズは浮気してる?」。覗かれていても気にしないというのは、もはや同じ人間と見なしていないレベルである。屋外の木に止まった鳥に見られても気にしないのと同じだろう。不憫過ぎて泣ける。もし三十郎氏が覗きを働けばきっと嫌がられて通報されるだろうが、それは三十郎氏が人間扱いされているということになる。実質的に勝ちである。

元々の自我が理想の自我に乗っ取られそうになり、それを拒否した話ということになるのだろうか。人には多かれ少なかれ「変わりたい」という願望があるのではないかと思うが、本当に変わってしまうと元の自分の一部が消失することになる。完全に変わってしまうと元の自分は完全に消失する。これは割と怖い話だと思う。だから三十郎氏は変われない。果たして人が理想に向けて自分を変える努力を続けた場合、変わった後の自分を“自分”と呼べるのだろうか。自分って何だろう。周囲に認識されている自分が自分ということになるのかな。それも本当の自分とは違うような……。

無機質な建物やコントラストの映像にディストピア感がある。結局何なのか分からない“大佐”はビッグ・ブラザー的な存在なのだろうか。しかしながら、全てが管理されているような印象は受けない。超管理社会では身元不明の男の存在や危険物の持ち込みなんて認められないだろう。まあ、よく分からないところが不思議な魅力の一作ということにしておこう。ミア・ワシコウスカが可愛いからそれでいいのだ。

日本の昭和歌謡が使用されているが、『上を向いて歩こう』以外は分からなかった。担当者は三十郎氏よりも日本通である。

コーンでアイスを食べるのはゲイらしい。どの辺りがゲイなのかはよく分からないが、舐める仕草がそれっぽいのか。トートバッグを使う男はゲイという話もあるし、アメリカの男性は生きづらそうである。

嗤う分身

嗤う分身

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二重人格 (岩波文庫)

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