オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『パラサイト 半地下の家族』

기생충(Parasite), 132min

監督:ポン・ジュノ 出演:ソン・ガンホ、チェ・ウシク

他:パルムドールアカデミー賞作品賞、監督賞(ポン・ジュノ)、脚本賞ポン・ジュノ他)、国際長編映画賞(旧外国語映画賞。今回から名称変更)

★★★★

概要

四人家族の集団就職

短評

新型コロナへの不安を押し殺しながらの鑑賞。劇場は非常に賑わっていた。もし当ブログの更新が予告なく止まったら、三十郎氏はここで感染した公算が大きい。映画館の外の状況が笑えないのは日本も韓国も同じだが、映画そのものはとてもコミカルで楽しく、しばし現実を忘れて、そして現実を考えることができた。笑えて、エロくて、グロくて、示唆的。エンタメと社会性の両立っていうのは、こういうことだよな。

あらすじ

父ギテク(ソン・ガンホ)、母チュンスク(チャン・ヘジン)、息子ギウ(チェ・ウシク)、娘ギジョン(パク・ソダム)のキム一家。半地下の家に住む彼らは全員失業中で、ピザの箱折りの内職に勤しんでいる。ある日、ギウは友人が留学に行く間の家庭教師の代打を頼まれる。教える相手は大金持ちのパク社長の娘ダヘ(チョン・ジソ)。ギウの次はキジョンが息子ダソンの絵の先生として、次は父がお抱え運転手として、そして母が家政婦として、一家全員がパク家に就職する。身分を偽りながら。

感想

半地下という設定が絶妙だった。観客が彼らを“底辺”として認識した状態で物語は進んでいくが、彼らよりも下の“全地下”の存在が明らかとなる。「上流vs下流」の構図かと思いきや、戦いの大半は下流の間で繰り広げられるのである。職を巡って下流下流を蹴落とし、一度落ち着いたかに見えた秩序が「下流vs真下流」の生存を巡る争いによって崩れ落ちる。

登場人物が三階層に分かれたことで、底辺だと思っていた半地下が中間──つまり一般労働者に置き換えられると示唆される。一家のメンバーにはそれぞれ知識や技能があるが、それを活かすことが叶いにくい境遇にある。全地下は生活保護の受給層に近いだろうか。尊厳も未来もあったものではないが、ただ生きることだけはできる。一方の半地下は、未来への可能性がなくもないが(ただしそれは上流への可能性ではない)、厳しい生存競争に晒されている。雨が降れば上から水が流れ込み、下から汚水が噴出する。板挟みの中間層である。この両者が上流からのおこぼれに与ろうとして争う。決して協力して上流と戦うことはない。

「上流vs下流」の戦いが発生しないのは、両者が互いに同じ人間として認識していないからだろう。下流から見た上流はATMの代わりで、上流から見た下流は製品の代わりである。それでも両者にはヒトとして五感という共通点がある。その内の嗅覚が両者を繋ぎ、上流から下流への侮蔑が鮮明となる。そこで初めて反逆が起こる。なんという爽快感だろうか。下流どうしで延々と続く無益な戦いが、上流に一矢報いる戦いへと転化する。

これは“金”の問題ではないのだ。金の問題であれば、全地下を倒してこれまでの生活を続ければよかった。“尊厳”の問題に踏み込んでしまった。だからこそパク社長が刺された瞬間は気持ちがいい。戦いの焦点は、職(金)→生存→尊厳と変化している。同階層間では常に競争がある。他階層との争いは、それぞれが一線を越えない限り発生しなかったはずである(キム家には元家政婦の提案をのむという選択肢があった)。パク社長による無自覚な侮蔑は、全地下にとって生存が脅かされるのと同じくらいにギテクには重かったことになる。

元いた運転手や家政婦らは一見優雅に生活しているかのようだったが、実情はキム一家の競争相手である。ギテクが「前の運転手は次の仕事を見つけたかな」と気遣うのは、同階層であるが故に同じ人間と認識しているのであろう。“全地下の男”は男は別階層であるため、おこぼれをやって生かしておこうという気にならない。

奥様のヨンギョ(チョ・ヨジョン)がとても美人で、リビングでの生々しいシーンは正直股間にムクムクと来るものがあった。娘のダヘちゃんも美少女だし、パク社長は勝ち組だなぁ……。彼らは決して嫌味な上流階級というわけではない。ルー大柴みたいな英語が少しウザいだけである。ヨンギョの世間知らずぶりに象徴されるように“無自覚”なのである。キム家にとってパク家が別世界であったように、パク家にとってもキム家の生活は別世界であり、基本的には見下すほどの存在ですらない。彼らが個人として悪人でないということが格差という悪を覆い隠して、当事者間の関係を温存させてはいないだろうか。

金持ち故の“優しさ”については、留守宅での宴でチュンスクが言及している。美男美女の方が醜男醜女よりも性格が良いのと同じ理由だろう。持てる者の余裕である。もっとも我ら持たざる者は、親切にされても「バカにしやがって」と勝手に腹を立てたりする。

とっかえひっかえの小悪魔美少女なダヘちゃん。三十郎氏も学生時代に家庭教師の仕事をしておくべきだった(犯罪だからしなくてよかったのか、それとも三十郎氏なら犯罪は起こり得なかったのか)。彼女は家庭教師の大学生なら誰でもよかったのだろうか。ダソンの絵について探りを入れる描写があったりと、母と同じ無自覚で無垢というわけではなさそうなのだが、最後まで真意の掴めないキャラクターだった。やはり三十郎氏に女子高生を理解することは無理なのだ。スレたキジョンも可愛かったけれど、実際に接するとビビってしまうタイプである。彼女がダソンを制御した方法が気になる。

半地下の家がある町の一区画も豪邸も全てセットだそうである。なんという高クオリティ。豪雨に沈む街路を真上から捉えたショットのダイナミズムは素晴らしい。ハリウッド以外の映画は緻密なプロットや真に迫る演技をメインに(もしくは“だけで”)勝負しがちだが、本作は技術面のレベルの高さにも目を奪われる。これは凄いとしか言い様がない。あらゆる意味でハリウッド映画と真っ向勝負できる韓国映画であった。

「今パク家が帰ってきたらゴキブリみたいにカサコソ隠れるんでしょ」という分かりやすい言葉の伏線が、笑いの面でとても効果的だった。言葉の通りにゴキブリにしか見えなかった。本人たちが音を立てられない状況というのが、観客も笑ってよいのかどうか微妙なところで、絶妙にツボである。

ギウの計画は決して実現しないだろう。計画を立ててしまった時点で、その通りにはいかないのだから。もしかして日本政府のコロナ対策も「計画を立てなければ計画通りにいかないこともない」の強気過ぎる方針なのでは……。