オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『スウィート ヒアアフター』

The Sweet Hereafter, 117min

監督:アトム・エゴヤン 出演:イアン・ホルムサラ・ポーリー

★★★

概要

スクールバスの転落事故と集団訴訟

短評

抽象的ではないが断片的で難解な一作。話の筋そのものは単純なので油断していると、最後に「えっ……」と置き去りにされた。その後はずっと断片を思い出しながらどういうことだったのかを考え続けて深みにはまる。果たして真実は?ニコールが嘘をついたは理由は?『ハーメルンの笛吹き男』とはどう関連付けるべきか?その辺りの解釈ができるか最初から意識して観るかすれば、大きく印象の変わりそうな映画である。逆に初見だと(面白いけど)キツかった。冷たい空気の張り詰めた映像は綺麗。

あらすじ

雪深い田舎町で起きたスクールバスの転落事故。弁護士のスティーヴンス(イアン・ホルム)は、犠牲者の遺族たちを訪ね、安全対策を怠った町やバスのメーカーに対して訴訟を起こそうと説得して回る(手付金無し、成功報酬は賠償金の三分の一。相場はどうなのだろう)。訴訟に乗り気な者、悲しみに暮れる者、強硬に反対する者──住民たちの思惑や関係は様々ながら、おおよそスティーヴンスの狙い通りに訴訟準備は進んでいく。ところが、事故の生存者の少女ニコール(サラ・ポーリー)の証言で全てがひっくり返る。

感想

映画の時間軸は三つ。第一に、1995年のスティーヴンスが遺族らを説得して訴訟準備を進める時間軸。第二に、主に遺族らの話の内容から分かる事故の前後の時間軸。第三に、1997年のスティーヴンスが、飛行機で隣に座った娘のかつての友人アリソンと話す時間軸。時間軸が入り乱れて分かりづらいということはないが、第一、第三の時間軸で語られるスティーヴンスとジャンキー娘ゾーイの関係を事故の話とどう結び付けたものかが分からない。

事故の関係者たちは訳ありである。事故で子供を失った親の中には不倫カップルがいたり(どうして不倫する女は下着の上にコートの変態ファッションをするのか。映画だからなのか。それとも映画だから下着だけは身に付けているのか)、ニコールは父親と身体の関係を持っていたりと様々な事情があって、最終的には“村のしきたり”がそのまま温存されるというモヤッとする筋書き。一方で、“犯人”となった運転手のドロレスは最後に晴れ晴れとした表情を見せている。報酬を手にすることができなかった弁護士以外は、村もドロレスも何故か救われているという。三十郎氏は彼らの事情を好ましく思えないが、全てをそのままにしておくことが“The Sweet Hereafter”なのか。

笛吹男=スティーヴンス、足が悪くて取り残された少年=ニコールだとして、スティーヴンスに連れて行かれなかったニコールのハッピーエンドということになるのだろうか。ニコールの父=笛吹男だとして、ニコールが笛吹男について行ったのを後悔して次はついて行かなかったとも考えられる(スティーヴンスやニコールの父の“口”がクローズアップになるシーンがあるので、彼らの笛吹男としての性質は間違いないように思う)。訴訟を起こして賠償金を得るよりも、村をそのままにしておく方が重要だったということになるのか。よく分からない。笛吹男=ニコール、少年=ドロレスだとしても、同じく一人取り残された者の方はそれで良かったということになる。やっぱりよく分からない──が、悲劇との向き合い方は人それぞれと言うしかないのか。

物語全体の大まかな理解以外にも、何故ビリーは訴訟に対して強硬に反対したのか、何故アリソンはアリーと呼ばれることを拒んだのか、最後の遊園地でのニコールの表情は何を物語っているのかといった多くの疑問が残る。難しい映画だなあ。

事故の生存者ニコールを演じているのはサラ・ポーリーゼロ年代に『死ぬまでにしたい10のこと』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』で一世を風靡したイメージが強いが、子役時代からの長いキャリアがあったのか。当時十代の彼女はめちゃくちゃ可愛かった。彼女の歌は本人が歌ったのだろうか。弁護士のスティーヴンスを演じるイアン・ホルムは、三十郎氏の知っている『エイリアン』から『ホビット』に至るまで、ずっと同じ顔をしている気がする。

スウィート ヒアアフター (字幕版)
 
この世を離れて (Hayakawa novels)

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