オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ボヴァリー夫人』

Madame Bovary, 118min

監督:ソフィー・バルテス 出演:ミア・ワシコウスカエズラ・ミラー

★★★

概要

田舎暮らしに退屈したボヴァリー夫人が不倫と浪費に走る話。

短評

映画を観るだけで世界の名作文学を分かったつもりになってみよう。本作を観ただけでは「これじゃエマがバカなだけじゃん。夫のチャールズが気の毒」としかならないメロドラマなのだが、フロベールの原作は彼女のような夢見がちな女性を生み出してしまったロマン主義への批判的精神が背景にあるらしい。現代に置き換えれば、インフルエンサーたちの発信する生活風景を現実のものと混同してしまった感じだろうか。それでも「バカなだけじゃん」という感想は変わらないが、普遍的なテーマが描かれた物語であることは間違いない。

あらすじ

修道院での花嫁修業を経て、「彼がよき人でありますように」という願いと共に医者のチャールズに嫁いだエマ(ミア・ワシコウスカ)。チャールズが開業しているヨンヴィルは小さな田舎の村で、変化のない毎日の繰り返しと理想とのギャップにエマは不満を募らせる。「夫は確かにいい人ではあるけど……」というやつである。そんな彼女を満たしてくれるのは、おべっか使いの商売人ルウルーや若いイケメン・ロマンチストのレオン(エズラ・ミラー)であった。

感想

「恋愛小説が好き」という台詞や修道院での絵画の授業中に描くモチーフがシャンデリアという演出からキラキラした生活への憧れは伝わるものの、エマが現実に対してどの程度期待していたのかが伝わらないのは脚本の欠陥だと思う。そのせいもあってか彼女が単なるおバカな小娘にしか見えない。二時間の尺に収めるために削った要素があるのだろう。理想と現実の乖離に苦しむ物語の割には、背景となる理想が分かりづらい構成である。退屈そうな初夜にはじまり、せっかく作ったお菓子を「召使いに作らせればいいのに」と一蹴する夫は酷いと思うが、他の男に惹かれるまでが早すぎる。

マルキ(ローガン・マーシャル=グリーン)に招待された狩りのために服を新調したのを皮切りに転落していく様は、一種の滑稽さがありながらもリアリティがある。散々好き勝手やった挙げ句に「世の中の男は皆悪魔」と言い放って責任転嫁する姿の圧倒的リアリティ。観客としての三十郎氏はどうしても彼女を突き放して見てしまうが、感情移入できる人も決して少なくはないと思う。性別を問わず、作られた理想に踊らされる人が後を絶たないからこそ成立するリアリティである。

それにしても消費という行為は、どうして心の隙間を埋めてくれるように感じるのだろうか。実際には何も埋まっていないから消費を続けることになるのだろうが。結局エマは浪費でも肉棒でも隙間を埋めることができなかったわけで、一体何があれば埋められたのだろうか。ここで真の愛などと言ってしまうのは、新たな理想との乖離を生み出すだけだろう。底のない穴を隙間だと思い込んで埋めようとする時点で負けなのである。そういう意味では死をもって埋めたとも考えられるだろうか。問題を全て放棄する形で解決できるのだから、死は救いである。

「名作文学をお手軽に理解したい」という下心と同時に「ミア・ワシコウスカのおっぱいを拝みたい」という下心があっての本作鑑賞である。一度目は、1:05:05のマルキとピロートークしているシーン。二度目は、1:22:04のレオンと交わるシーン。どちらもチラ見えではあるが、前者の方がはっきりと確認できる。動きが激しく、艶めかしい声を拝聴できるのは後者である。

修道院で本を頭に乗せて歩くことで姿勢を矯正していた。試しに真似してみると落とさず歩けたが、ゆっくりとしか歩けなかった。もっともバランスを取るために首の角度を調整しているのでは本末転倒である。神に嫁いだ女たちが人間に嫁ぐ女たちを育成しているのも本末転倒感がある。

狩りのシーンで大量のビーグルが登場して可愛かったのに、獲物の内蔵に群がっていて野生を感じた。

本作を観た者は、三十郎氏のような男であれば「ミア・ワシコウスカが可愛い」と愛で、女性であれば「エズラ・ミラーが綺麗」と褒めるであろう。こうして歪んだ理想が新たに形作られるのだから、映画や原作の精神と比すれば皮肉な話である。

ボヴァリー夫人(字幕版)

ボヴァリー夫人(字幕版)

  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: Prime Video
 
ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

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