オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『殺戮にいたる病』我孫子武丸

概要

おっぱい切り取り連続殺人事件。

感想

ミステリと聞いていたものの、犯人が逮捕される“エピローグ”から物語が始まるという一風変わった形式で、読み進めてみてもミステリというよりもサイコ・スリラー。変態描写を楽しみながらも、ミステリ的に「これはどうしたものだろう?」と思っていると、最後にビックリが待ち受けていた。もう一度読み直せば、ちゃんと謎解きの物語として読めるのだろうか。

個人的には「ヴァン・ダインです」以来の驚きである。「人気作品であるらしい」ということだけを知っていて、内容について何も知らなかったのが良かったのだと思う。と言うのも、『十角館の殺人』に続く館シリーズのように「これは叙述トリックなのだ」と最初から決め込んで読んでしまうと、“ありうる中で最も意外な展開”ばかりを予想するようになり、その内の一つくらいは当たってしまって、意外性が薄れるのである。

三十郎氏は著者からの挑戦に真っ向勝負を挑むような殊勝な真似はしないので、ちゃんと筋道を立てて正解を見つけるということはない。映画を観る時にも同じことをしている。それでも大量の物語に触れていると、“意外性”という点からなんとなく答えが見えてしまったりするものなのである。

本作は、「これはミステリではなくスリラーなのでは?」というバランスが絶妙だった。最初に犯人が分かっていると言っても、探偵役がコロンボ的に事件を解明していくわけでもない。犯人目線で猟奇的な犯行を描きつつ、なんだかんだご都合主義的に犯人に辿り着くだけの話である。それでもビックリなのである。ああ、気持ちよく騙された。これが叙述トリックの話だと分かって読んでいれば、全く別の感想になったかもしれない。

稔の性倒錯的なシリアル・キラーぶりは、シリアル・キラーについて多く知られるようになった現代では「現実の方が怖いな」というレベルで楽しく読めたのだが(本書が出版された1992年ならもっと衝撃的だっただろう)、雅子の方はがっつりホラーだった。彼女の方がよっぽど現実的に恐ろしいサイコパスである。三十郎氏も、かつての少年として戦慄を覚える。「この性格には何か裏があるのでは……?」と思わせて真相から目を逸らしたのも、トリックの内だったのか。

あとがきにあるように、少々時代の流れを感じる描写が多い。やたらと豪勢な部屋や「さん」付けの描写を「そういう時代だったんだろう」と受け流したのだが、これも伏線だったりしたのだろうか。

樋口のフリーター評が辛辣すぎて笑える。「あんな無責任な連中は、働くことの大切さも、生きることの大切さも分かってないから平気で他人の命を奪えるのだ」と来た。この論理の飛躍は──それが的外れであったことを考えると──彼のポンコツ爺ぶりを示す描写だったのだろうか(彼は最初から信用できない語り手だった)。それとも90年代におけるフリーターに対する世間的なコンセンサスだったのだろうか。

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫)

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫)