オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

モリミマス 2020

読者諸賢、ハッピー・モリミマス。

モリミマスとは何か

“モリミマス”とは何であるか。皆様はご存知だろうか。知らないだろう。もし知っているのなら、このブログの相当に熱心な読者であるという名誉なき栄誉に浴する権利を有している。「そんなもの要らん」という方も、これを汚名と思うなかれ。知らなかった方も、これを機会に知り、そして祝うとよい。

モリミマスとは、森見登美彦氏の誕生日のことである。本日1月6日である。クリスマス・ファシズムの打破に寄与した氏の功績を讃え、一昨年三十郎氏が命名し、昨年から祝いはじめた。キリストの誕生日がクリスマスなら、森見の誕生日はモリミマスでよかろうという安直なネーミングである。登美彦氏にマス(=ミサ)要素があるのかという疑問は無視するものとする。実はクリスマスがキリストの誕生日でないことも無視するものとする。

2020年1月6日現在まで「モリミマス」で検索してもこのブログしか出てこない。昨年と同じく「モミマス」というマッサージ店が出てくるばかりである。つまり、このブログを読んでいなければモリミマスなる謎の祝祭に遭遇することはないし、モリミマスと称して祝っているのは三十郎氏ただ一人である。三十郎氏界隈にのみ存在する奇祭である。この一年で全く普及しなかったという成果が三十郎氏の影響力を物語る。

「やあやあ!我こそはモリミマスの名付け親なり!」という人がいれば、遠慮せずに名乗り出てほしい。三十郎氏には速やかに命名者の看板を下ろす準備がある。ネーミング・センスの欠如を自ら喧伝するような真似は三十郎氏だってしたくないのである。

さて、モリミマスの祝い方を説明しよう。決して恋人との甘いひとときを過ごそうなどと思うなかれ。モリミマスは空費された青春の残骸への弔いなのである。「あの頃は空転していたけれど、おかげで今は幸せになれたよ」などと抜かす不届き者は大人しくクリスマスを祝っていればよい。チキンの骨を食道に刺して死ね。

モリミマスは森を見て祝わねばならない。ネーミング以上に安直かつ意味不明であろう。三十郎氏もそう思う。しかし、創始者たる三十郎氏がそうであると決めた以上、原理主義者たる三十郎氏はその方針に従わねばならぬ。

しかし、「森なんて何処にあるのか分からない」「森と林の違いはなんだ」と困惑してしまう人がいるかもしれない。三十郎氏も同じである。昨年同じことを考えたにも関わらず、未だに森と林の違いがよく分からない。ハヤシミマスではコンセプトに反する。これではハヤシミさんという謎の人物の誕生を祝うことになる。邪神信仰的である。

そこで抜け道を用意した。多くの宗教がそうであるように、教義の緩さが信者の獲得・維持の秘訣である。モリミマスにおける森は、どんな森でも構わない。写真や映像でもいいし、心の中の森でも構わない。妄想の森の中に迷い込むというシチュエーションはいかにも森見作品的ではないだろうか。ないと思っても決して口に出すなかれ。聖母マリアが浮気しただけだと思っていても、皆口にはしないだろう。

森見登美彦氏の誕生を森を見て祝う。これがモリミマスの正体である。本稿は三十郎氏が昨年思いつきで行ったことを明文化しただけである。

モリミマスを祝おう

さて、本題に移ろう。森を見てモリミマスを祝おう。ここで“森を見る”という行為がいかなるものであるかについて考えながら森を見ることにしたい。

通常“見る”という言葉が持つ意味は、水晶体を通過した光を受容した網膜が、光の情報を電気信号へと変換し、視神経が視覚中枢へと運ぶことにより、“見ている”と認識されることにある。つまり、“見る”という行為は“光”を体内に取り込むことなのである。我々が見ているのは物質そのものではない。“光”を見ているのだ。

では、一体その“光”はどこからやって来るのであろうか。ここで森見登美彦氏の登場である。

氏曰く、

 「おっぱいは世界に光をもたらす。光あれ」

森見登美彦『恋文の技術』より 

光をもたらす存在はおっぱいである。「光=おっぱい」である。つまり、おっぱいなくして“見る”という行為は成立し得ない。全ての“見る”という行為は、“おっぱい”を体内に取り込む行為なのである。いついかなる時に何を見ていようと、それはおっぱいを見ているに等しい。揉んだおっぱいから手を離せば元の形に戻る。おっぱいは可逆なのである。即ち、おっぱいを見ることは、あらゆるものを見ることに等しい。

おっぱいを見れば森を見ていることにもなるし、森を見ればおっぱいを見ていることにもなる。あらゆるものがおっぱいであり、あらゆるものが森なのである。

モリミマスを祝うという行為を難しく考える必要はない。今、あなたが見ている画面もまたおっぱいであり、森なのである。そして、そこに「登美彦氏の生誕を祝う」という意思さえ加われば、それはもう立派なモリミマスである。この世界には森とおっぱいが溢れている。世界中がモリミマスだ。

「そんな破廉恥でありかつ歪んだ解釈が許されるのか!」と憤り、困惑する人もいることだろう。しかし、森見作品だって猥褻とご都合主義に満ちているのだから、三十郎氏による無理筋の解釈くらいどうでもええじゃないか。……ええじゃないか?……ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか。ええじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!!!ええじゃないか!!!ええじゃないか!!!ええじゃないか!!!ええじゃないか!!!

 

 

どうでもええわけがない。どうでもええわけがあるか。

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恋文の技術

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