オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『サーミの血』

Sameblod(Sami Blood), 107min

監督:アマンダ・ケンネル 出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ハンナ・アルストム

★★★★

概要

自身のルーツを嫌悪する老婆の過去。

短評

サーミ人とは、独自の言語や文化を有し、主に北欧に暮らす少数民族である。著名人ではレネー・ゼルウィガーがその血を引くのだとか。本作は、彼らに対する差別や同族間での対立、自らのアイデンティティへの迷いを、思春期の少女エレ・マリャを通じて描き出している。三十郎氏はサーミ人について何も知らなかったが、とても興味深く観られた(その興味の視線に差別が潜んでいることも描かれている)。また、彼女の物語は少数民族の問題だけに留まらず、非常に広い射程を持っているように思う。

あらすじ

妹の葬式に嫌々参列する老婆クリスティーナ。どうやら彼女は少数民族サーミの出身でありながら「あの人たちは嫌い」と嫌悪している。どうして彼女は自身の出自を忌避するようになったのか。それは彼女がクリスティーナと名乗る以前のエレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク。本物のサーミ人で、女優業以外にトナカイ飼いの仕事もしているそうである。妹ニェンナ役のミーア=エリーカ・スパルロク実妹)が、寄宿学校に通い始めた時代まで遡ることになる。

感想

非常に重い一作だった。スウェーデン人から「あなたたちの脳は文明に適応できない」とまで差別されたエレ・マリャが、それでも「ここでは生きていけない」と自分の生き方を選び、スウェーデン人でもサーミ人でもない人生を歩むことになる。スウェーデン人からは差別と好奇の目に晒され、家族からは「スウェーデン人かぶれ」と蔑まれる。どこにも寄る辺のなくなってしまった彼女はどうやって生き抜いてきたのだろうか。尋常ではない決意と強さが求められたことだろう。

エレ・マリャの息子と孫娘がサーミ人に対して抵抗を抱いていないことから、現代では差別がマシになったと察せられる。一方で、サーミの文化を捨てたサーミ人と昔からの暮らしを続けるサーミ人との間に対立が生まれている。大々的な差別をやめたスウェーデン人も「やぁね、あの人たち」的な白い目を向ける姿がさり気なく描かれており、少数派への差別意識の問題は根深いことが分かる。

直接的な暴力の描写は少ないが、本作は非常に暴力的な映画だと思う。エレ・マリャを待ち受ける数々の屈辱は、紛れもない精神的な暴力である。地元少年たちの「や~い、ラップ人。クサいぞ~」という粗野な差別はともかく(劇中の描写だとサーミ人はあまり身体を洗わないらしい)、彼女たちを単なる観察の対象として扱う検査の風景や(衆人の前で服を脱がされ写真を撮られる)、「人類学専攻なの。ヨイクを聞かせて」と悪意なく頼む学生たちからは、人格というものを無視した傲りを感じさせられる。

コーカソイド間の差異に疎い三十郎氏としては顔だけ見ると皆白人なのだが、手脚がスラッと長く長身のスウェーデン人に比べ、エレ・マリャが丸顔でずんぐりむっくりな体形なのは、サーミ人に含まれるモンゴロイドの遺伝子故のなのだろうか。寄宿学校の教師、本家クリスティーナを演じているハンナ・アルストムは『キングスマン』で王女を演じていた金髪碧眼の人なので、彼女が典型的なスウェーデン人の容姿ということでよいのか。

本作が描いているのはサーミ人という少数民族だが、エレ・マリャの姿は地方を出て都市部を目指す若者たちに重なる部分がある。東京人でも田舎者でもなくなった彼らは自己をどのように認識しているのだろう。そこに新たな対立の構図が生まれるのも似ている。やれ地層創生だ伝統だIターンだと色々言われているが、田舎出身の三十郎氏にはその言葉が押し付けにしか聞こえない。“血”とまでは言わずとも、出身地というのも一種の呪縛である。やれ「地元に誇りを持て」だ「地方は素晴らしい」だなんて言ったところで、不便な上に希望もないから出ていくのである。欧米を目指す移民だって同じだろう。良いところばかりを強調しても悪いところがなくなるわけではない。選択の自由の下での伝統や多様性は素晴らしいが、そうでない場合にも素晴らしいものでありうるのだろうか。果たして、それを守ることを是とするべきなのか。

サーミの血(字幕版)

サーミの血(字幕版)

  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: Prime Video