オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『月影の下で』

In the Shadow of the Moon, 115min

監督:ジム・ミックル 出演:ボイド・ホルブルッククレオパトラ・コールマン

★★★

概要

九年毎に現れては死ぬ青パーカーの殺人鬼の話。

短評

SFとミステリーの組み合わせ自体は面白いが、それとは別の部分でオチが大変に気に食わないNetflixオリジナル映画。これは明らかにポリコレの弊害なのだが、黒人女性が犯人となれば必ず何かしらのワケありで、そのワケは大抵の場合肯定される。しかし、本作の場合は「これを肯定しちゃダメだろう」という受け入れ難い、そして無理のある内容だった。導入部や話の仕組みは面白いのに、落とし所がなぁ……。

あらすじ

1988年。コックとピアニストとバスの運転手が、目と口から血を流しながら死ぬ事件が発生する(このシーンはなかなかグロくて良い)。トーマス巡査(ボイド・ホルブルック)は容疑者の青パーカーの女を発見し追いかけるが、あと一歩のところで女は地下鉄に轢き殺される。それから9年後の1997年。同様の事件が発生し、現場の監視カメラには青パーカーの女が映っていた。

感想

タイムトラベルものである。1997年には警部に昇格しているトーマスだが、続く2006年には車上生活を送る私立探偵へと身を落とし、更に2015年にはボロボロのホームレスになりかけている。トーマスが老いていく一方で、青パーカーの女は後の年代から順に飛んでいる。従って、序盤の年代での青パーカーの女の発言が後々の展開への伏線となり、「あれはこういうことだったのか」が上手く繋がる。

犯人がその人である必然性は全く感じられないが、ミステリー自体は面白い。問題は、犯行の理由である。彼女は、ヘイトクライムが発端となる内戦の発生を防ぐため、ヘイト思想の芽を摘みに現れたというわけである。

特定の人間を殺せば思想を消滅させられるか。無理である。当該の人物が、閉鎖空間で一人黙々と考え続けて行き着いた結論を、突然外部に撒き散らしたわけではないだろう。そこには当然外部からの影響があるはず。また、同じような状況下に生きる者がいるからこそ思想は共感を呼び拡散する。外部からの影響がその思想を生んだのなら、当該人物を消したところで他の誰かが同じことをするだけである。

また、数人を殺すだけの“些細なこと”で未来を変えられるのなら、殺すという手段に頼る必要もないだろう。「自分たちに都合の悪い奴は殺しても構わない」というのでは、「黒人を殺せ」と謳う白人至上主義者と大差ない。ターミネーターじゃないんだから。強引に家族愛の物語に持っていくことで誤魔化しているが、思想の根源を突き止めたりタイムトラベルまで可能な技術があるのに、解決策が殺人というのはなんとも短絡的である。仮に目的は正しくとも手段は間違っている。これを正義の行為であるかのように描いているのには違和感があった。

白人至上主義者に全ての原因を押し付けて思考停止するのは楽だろうが、それが許されるのは『ルディ・レイ・ムーア』くらいのものである。社会に疑問や主張を投げ掛けたいのなら、もう少し苦労して頭を使ってほしい。