オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『マインドハンター S1』

Mindhunter

監督:デヴィッド・フィンチャー他 出演:ジョナサン・グロフ、ホルト・マッキャラニー

概要

FBIの捜査に心理学を導入しようとする話。

短評

デヴィッド・フィンチャー製作総指揮のNetflixオリジナル・ドラマ。フィンチャー本人が監督しているのは第1、2、9、10話である。つまり、最初と最後の美味しいところを自分で担当している。最も優秀な監督が、最初のエピソードを担当することで視聴者の興味を引いて残りの話も視聴させ、最後のエピソードを担当することで次のシーズンに対する興味を継続させる。戦術的に優れた判断か。

あらすじ

FBIアカデミーで人質交渉の授業をしていたホールデン・フォード(ジョナサン・グロフ)が、行動科学課のビル・テンチ(ホルト・マッキャラニー)と共に、全米の凶悪犯罪者たちにインタビューして彼らの行動原理を解明し、犯罪捜査に役立てようとする話である。フーヴァーの死後数年、今日では当然に受け入れられているプロファイリングの手法が確立されておらず、また心理学を捜査現場に持ち込むこと自体にも抵抗の大きかった時代に、彼らの行動は大きな注目を集めることになる。

感想

シーズン全体としては、「凶悪事件を心理学の手法で解決する」という視聴者の期待を逆手に取った構造が見事だった。この段階での行動科学課の目的は、手法を確立であって、事件を解決することではない。フォードたちは、エド・ケンパーへの接見を皮切りに様々な凶悪犯にインタビューすると同時に、各地の捜査機関に心理学的な手法があることを紹介していく。その中で当然「今こういう事件が起きていて……」という相談が寄せられる。凶悪犯との会話を重ねて自信を深めていたフォードは(この過程は感情移入できるように演出されている)、自身の心理学的知識を用いて事件を解決に導くのだが、ここに落とし穴が潜んでいる。

フォードによる事件の容疑者への尋問は、結論ありきの誘導尋問そのものである。身に付けた知識を事件に応用するのではなく、事件という現象を自分の知識の範疇に矮小化して解釈しようとしているように見える。心理学の入門書を読んだ人が、それだけで全てを説明できるとばかりにイキり倒しているようで、恥ずかしくて見ていられない。心理学を少しかじっただけで、人間の行動や関係を説明してみせようとする恥ずかしい大学生を見て「アイタタタ……」と何故か自分の方が恥ずかしくなった経験のある人も多いことだろう。あの感覚である。それだけにフォードがサイコパスどころか自分が何を考えているのかさえ分かっていないことを突き付けられるラストは痛快だった。

フォードが正義の味方としての主人公ではないと分かるエピソードの一つに、生徒の足をくすぐって5セントをあげるという校長を学校から追放するように進言するものがある。確かに校長は気持ち悪いし怪しいが、何もしていない段階で罰を加えるのは刑法の精神に反している。思想警察である。しかも、まだ方法論が確立されてもいない。フォードの直感による独断である。

このエピソードから分かるのは、どんな要素も「こいつはサイコパスかもしれん」と結び付けられるということ。特にフォードのような初学者で、心理学の実用性を実感しはじめたばかりの人間は非常に危うい。万能感に酔いしれてしまっている。方法論の確立を第一に考えるカー博士(アナ・トーヴ)とは対称的である。一歩引いたところのあるテンチもいて、バランスの取れた課内の構成も本作の面白さ。

シリアル・キラー”という言葉が劇中で誕生したりと、プロファイリングの歴史的側面を眺めるだけでも相当に楽しいドラマであるが、もちろんそれだけではない。凶悪犯に主人公たちが襲われるような映画的ハイライトが無いにも関わらず、不気味な緊張感に包まれている。凶悪犯たちの得体の知れなさが怖いのである。刑務所内で拘束された相手と会話しているだけなのに、底知れぬ闇のようなものを感じさせられる。彼らを理解するための研究なのに、こちらが見透かされている感じがする。

様々な実在の凶悪犯が登場する。女装や女性用の靴に異常な関心を示すジェリー・ブルードスという男に覚えがあると思って調べてみると、『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルのモデルだった。他のサイコパスについてももっと知りたくなってきた。

マインドハンター──FBI連続殺人プロファイリング班 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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