オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『地獄の黙示録 特別完全版』

Apocalypse Now, 196min

監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演:マーティン・シーンマーロン・ブランド

他:パルム・ドールアカデミー賞撮影賞(ヴィットリオ・ストラーロ)、アカデミー賞音響賞(ウォルター・マーチ他)

★★★★★

概要

ベトナムの奥地に人殺しに行く話。

短評

この映画は分からない。ジョゼフ・コンラッドの原作『闇の奥』を読んだ上で、改めて理解しようとすること自体を諦めた。ウィラード(マーティン・シーン)がカーツ(マーロン・ブランド)の辿った道を劇中で追体験するように、観客は映画を観てウィラードの辿った道を追体験する。ウィラードがカーツと同じ末路を歩まなかったように、観客もウィラードと同じ感情を共有するわけではない。カーツとウィラードにとってのジャングルがそうであったように、三十郎氏にとっての本作は“得体の知れないな何か”である。ウィラードだって、きっとこの体験を理解することなく飲み込んだに違いない。

感想

本作が描いたものの本質は、果たして戦争の狂気なのだろうか。戦争という舞台はキルゴア(ロバート・デュヴァル)とカーツの対比を強調するためだったようにも思えるし、当時のアメリカの文化人がなんらかの形でベトナム戦争を描かずにはいられなかっただけのようにも思える。戦争という“行為”が持つ狂気なのか、それとも未知のジャングルという“場所”が持つ狂気なのか、あるいは(本作を完成させたコッポラを含む)“人”が秘める狂気なのか。あらゆる狂気が溢れており、“狂気”という一つの言葉では形容しがたい“何か”が巨大な構造物のようにそびえ立って、観客を試しているように感じられる。それはまるでソラリスの海のようである。本作に何を見るのかは、観客の内にあるものに依存する。

映画のラストで語られるカーツの言葉を借りれば、“The horror!(恐怖)”こそが本作の根源のように思われる。対象は戦争でもジャングルでも他者でもいい。それらに対する“恐怖”が形を変えて、“狂気”として具現化する。狂気は副次的な形態である。恐怖から狂気への形態変化は戦場やジャングルにおける人間だけに生じるものではない。そもそも戦争という行為そのものが、何らかの恐怖を国民に煽ることで成立する狂気の一形態である。

しかし、戦争は打算に基づいて遂行されるし、狂気的に見える兵士の原始的な攻撃性も、それこそが社会的要請たる倫理の殻を破り捨てた人間の本質と言えなくもない。狂気に走ったと言われるカーツの頭は正常であった。人間の本質が狂気ならば、それは単に呼び方の問題である。果たして、本作を通じて見たものは本当に狂気だったのだろうか。やっぱりよく分からない。そして、根源たる恐怖の正体は更によく分からない。

映画の核心がよく分からずとも、途方もなく凄い映画を観せられたということだけはよく分かる。映画史における金字塔であることに疑いの余地はない。あらゆる意味でこんな映画は二度と現れないだろうと思わせられる。「どれだけ火薬を使ったのか!」と驚く圧倒的なスケールはもちろんのこと、現代の映画界に課せられた“〇〇してはいけない”という従来の制約に加えて、“〇〇しなくてはならない”という新たな制約も障壁となるだろう。小規模作品ならまだしも、本作のように混沌を混沌のままに描き、ルールの枠外に位置する超大作の製作は、映画というメディアが求心力を失いつつある時代に可能なのだろうか。

また、テーマが超絶に難解でありながらも、話の筋や見どころはとても分かりやすい。要所要所に戦闘や事件を盛り込んだロードムービーである。このバランスが三十郎氏のような阿呆なファンでさえも惹き付けてやまないのだろう。本作が後半の心理的迷宮だけで構成されていれば、「なんだこれ……」と混乱するだけで、その意味を考えることもなく撤退してしまうだろう。本作の代名詞とも言える『ワルキューレの騎行』と共に村を丸ごと一つ殲滅するシークエンスは圧巻である。正に蹂躙。それもサーフィンをするためだけに。演技だと分かっていても村人を演じるエキストラは怖い思いをしたのではなかろうか。この非常な高揚感を伴うシーンを見て喜んでいられるのは、本作が作り物で実際に犠牲者が出ているわけではないと理解しているからだろうか。それとも、他者への原始的な攻撃性を人が共有しているからか。

二人とも出番は多くないが、圧倒的なインパクトを残すカーツとキルゴア。前者の語る内容はさっぱり分からないが、彼が暗闇からヌッと顔を出した場面はカラヴァッジョの絵画のようで不気味に美しい。一方の後者は、ハートマン軍曹の如きカリスマ性である。

特別完全版では、フランス人農園のシーンやプレイメイトのその後が追加されている。前者のシーンには、ベトナム戦争アメリカが戦っている相手のベトコンが、かつてアメリカが支援したベトミンの成れの果てであるというエピソードが挿入されている。特別完全版の公開がちょうど2001年だというのは偶然かもしれないが、どうしてもビン・ラディンタリバンを思い出す。歴史は繰り返す。