オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『シークレット・オブ・モンスター』

The Childhood of a Leader, 115min

監督:ブラディ・コーベット 出演:トム・スウィート、ステイシー・マーティン

★★★

概要

癇癪持ちの美少年が独裁者になる話。

短評

不穏すぎる劇伴に不安を掻き立てられながら、顔以外は全く可愛げのない少年が癇癪を爆発させる姿を見せられる映画である。少年を取り巻く環境の歪みが、少年自身の歪みへと繋がるところは理解できる気がするが、それがどうして独裁者にまで繋がるのかは全く分からなった。三十郎氏の読解力不足は認めるが、飛躍もあると思う。サルトルの『一指導者の幼年時代』という短編が原作とのことだが、読めば理解の助けになるのだろうか。余計に混乱しそうな気もする。

あらすじ

第一次世界大戦終結直前のフランス。条約締結のためにやって来たアメリカ政府高官(リアム・カニンガム)。彼の息子が、本作の主人公プレスコットである。プレスコットは、教会に石を投げ、家庭教師(ステイシー・マーティン)の乳を触り、会議の場に半裸で現れ、条約締結を祝う晩餐で暴れ、母親(ベレニス・ベジョ)をぶん殴り、周囲を困惑させる。

感想

最後に独裁者となったプレスコットの姿を見れば分かるが、本作には特定のモデルはいないらしい。ナチスっぽい国旗に、ソ連っぽい軍服、そしてムッソリーニの禿頭とイメージの継ぎ接ぎである。どうやら出来事や心情の変化が独裁者の出現にロジカルに結び付くという話ではなく、散りばめられた小さな火種がやがて独裁者として萌芽しかねないという話らしい。

ここで気になったのは、独裁者という存在を個人に帰責しているように感じられる点である。少年の歪みが独裁者の資質として成熟することは認められるとしても、一人で独裁者になることはできない。『ジョーカー』のアーサーだって、ゴッサム市民が祭り上げていなければ単なる殺人者で終わっている。物語の背景として第一次大戦終結やそれに伴う各国の思惑が出てくるものの、それらの要素とプレスコットの繋がりを上手く描けていたとは思えない。屈折した家庭で屈折した少年が育つ。よくある話である。彼を独裁者たらしめる状況が整っていなければ、彼は単なるクソガキに過ぎないのではないだろうか。それともただのクソガキが独裁者の資質を秘めているのが怖ろしいのか。

この点については、映画序盤の父とチャールズ(ロバート・パティンソン)の会話の中で「一人では悪魔になれなくても、大勢でなら容易に善を忘れられる」という象徴的な言葉が登場する。ここから分かるように映画としては“大勢”の重要性を認識しているはずなのだが、三十郎氏にはプレスコットの個人的な物語にしか思えず、このギャップを最後まで埋めることができなかった。この会話に登場するピラトの名前すら知らなっかた三十郎氏が文句を言うのは滑稽かもしれないが。

予知夢についてはどう解したものだろうか。プレスコット少年は、映画のラストで大人になった彼が訪ねる建物の夢を見てオネショをする。これは彼が自分の将来を知っていたことを意味するのだろうか。彼が自分の未来を知った上で行動しているのなら、彼自身に変化を与えないその行動に意味はあるのか。知った上での選択が実存主義の問題になるのか。

劇伴が凄まじい。起こっている事自体は単なる子供の癇癪なのに、不協和音の効果で不安が盛り盛りである。少々やり過ぎにも思えるが、後の出来事を考えればホラーレベルの大きな事件だったとも言えるし、何より観客を引き込む道具として役立っていた。

美人家庭教師のアデレイドにフランス語を教えてもらえるプレスコットが羨ましくて仕方がない。三十郎氏だってステイシー・マーティンのような美女が教えてくれるのなら必死に勉強するのに。しかし、彼女はブラウスから乳首が透けていたりするので、頭部の脳よりも股間の小さな脳ばかりがフル稼働して勉強どころではないかもしれない(このシーンは乳首が布を押したり返したりしていて大変に素敵である)。その憧れの彼女がどうやら父と関係を持っているらしいと分かれば、彼が世界を自分の思う通りに作り変えたいと考えるのも無理はない(そんなものよりNTR趣味に目覚めれば平和だったのに)。独裁者だろうが凡人だろうが、男は性欲に支配されている。彼女に何人かと問われたプレスコットが、母に教えられた通り「地球市民」と答えた辺りは、世界を我が物にせんとする思想に繋がっていると言えるだろうか。