オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ヒューゴの不思議な発明』

Hugo, 126min

監督:マーティン・スコセッシ 出演:ベン・キングスレークロエ・グレース・モレッツ

他:アカデミー賞撮影賞(ロバート・リチャードソン)、美術賞(ダンテ・フェレッティ他)、視覚効果賞(ロブ・レガート他)、音響編集賞(フィリップ・ストックトン他)、音響賞(トム・フライシュマン他)

★★★★

概要

駅に住む孤児が修理した機械人形が絵を描く話。

短評

数多く製作されてきたスコセッシ映画の中、全年齢対応のPG指定などはほんの一握り、残るは暴力的か性的か、そうでなければ暴力的でありかつ性的なR指定である。その貴重なPG指定作品の一つが本作である(他PG指定作は『キング・オブ・コメディ』だったりするので、これを子供に見せるのは……。確かG指定はないはず)。孫にしか見えない娘のフランチェスカちゃん(本人渾身のセクシーショットよりも父の写真ばかりLikeが伸びるのをどう思っているのだろうか)に観てもらうために、スコセッシ翁、いや、パパ・マーティンが一肌脱いだというわけである。

いくら愛する娘のためとは言え、子ども向け映画なんてスコセッシらしくないな、スコセッシも丸くなったなと思っていたら、暴力や性といった普段の作家性とは別の面でのスコセッシらしさを見せてくれる。本作は、映画についての映画である。誰しも名前くらいは聞いたことがあるか、なくても顔のついた月は見たことがあるであろうジョルジュ・メリエスが登場し、しっかり大人も楽しめる夢の世界が待っている。シネフィルとして名高いスコセッシが、数ある児童文学の中で本作を選んだ理由がよく分かる。

あらすじ

パリの駅に住む孤児のヒューゴ少年(エイサ・バターフィールド)。彼は亡き父の遺した機械人形を修復するため、部品を集めながら暮らしていた。玩具店で部品を盗もうとしているところを店主のパパ・ジョルジュ(ベン・キングズレー)に捕まり、修復の手掛かりとなるノートを取り上げられて万事休すかと思われたが、ジョルジュの養女イザベル(クロエ・グレース・モレッツ)と仲良くなり、なんとか機械人形の修復を完了する。動き出した機械人形は一枚の絵を描き上げ、そこにはジョルジュ・メリエスのサインが記されていた。

感想

映画の前半は、間違いなく娘のためを意図して撮られたであろうヒューゴとイザベルのワクワク冒険譚である。それが、タバール教授(マイケル・スタールバーグ)が登場した辺りで、突如大人向けのワンダーランドとして花開く。メリエスのスタジオでの撮影風景を再現したシーンなどはロマンの塊である。工夫や創造性、そして何より映画製作の楽しみが満ち溢れている。三十郎氏は映画を観ているはずなのに、まるで映画の世界が現実に飛び出してきたかのような感覚になる。劇中劇→劇→現実の重層的な構造を活かして、観客を映画の世界へ入り込ませる。本作は3D映画として撮影されたが、映像と同時に物語が飛び出してくるのである。

この少々懐古趣味的と言えなくもない映画愛の表明に子供たちがついて来られたのかは心配だが、それは三十郎氏の与り知るところではない。フランチェスカちゃんが父の後を追ってシネフィル道を歩むのかは分からないが、かつてメリエスが観客に見せようとした魔法に、父が自分に見せようとした魔法を重ねてはくれただろう。

三十郎氏も大量に映画を観るが、本作に登場するメリエスリュミエール兄弟といった映画創生期の歴史から学ぼうという真摯な姿勢が決定的に欠けている。だからどんなに映画を観ようと永久にシネフィルを名乗れない。本作に登場するチャップリンも全ての作品は観られていないし、バスター・キートンもほとんど観ていないのが実情である。彼らの作品を知識としては知っているが、映画とは、知識ではなく体験である。Googleストリートビューを見ても、その街に行ったことにはならない。それを何より物語っているのは、初めて映画を観た時のイザベルの表情だろう。目を丸くして驚き、顔をしかめ、心の底から楽しんでいるあの姿こそが、“映画を観る”という行為なのである。

舞台はパリだが、ほとんどの出演者はイギリス人でイギリス英語を話している。アメリカ的には「ヨーロッパは全部イギリス圏ってことでいいだろ」的な感覚なのだろうか。かと言って、フランス人キャストを揃えてフランス訛りの英語を話されても困るので、どうしようもないか。

ユゴーの不思議な発明(文庫) (アスペクト文庫)

ユゴーの不思議な発明(文庫) (アスペクト文庫)