オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ベロニカとの記憶』

The Sense of an Ending, 108min

監督:リテーシュ・バトラ 出演:ジム・ブロードベントシャーロット・ランプリング

★★★

概要

元恋人の母親が友人の遺品を遺贈すると言うが元恋人が渡してくれない話。

短評

ややこしい概要だが、ややこしい話なのである。原作はジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』で、2011年のブッカー賞受賞作らしい(と言っても賞の名前を知っているだけで受賞作を読んだことすらない)。ちょっと話を掴みづらいような、分かるような分からないような、つまりよく分からない映画だった。

あらすじ

年金生活をしつつライカの中古カメラ店を営むトニー(ジム・ブロードベント)が、件の内容を遺書を受け取る。大学時代の恋人の母親から遺贈という状況にも戸惑うが、その内容が彼の高校時代の友人の日記だというのだから更に困惑する。しかも遺言執行者の元恋人ベロニカ(シャーロット・ランプリング)は日記を渡すことを拒否している。一体何が何だかという状況でトニーが自分の記憶を遡っていくと、自分の記憶の不正確さが見えてくる。

感想

この映画がどういう話だったのかは、高校時代の授業のシーンでエイドリアンが語る「歴史とは何ぞや」という命題がヒントになりそうである(この授業で生徒と教師が発言のボールを物理的に投げ合うのが格好いい)。エイドリアン曰く「何かが起こったことは分かるが、何があったのかは分かり得ない」「歴史が生まれるのは不完全な記憶と文章が出会う時だ」「本人の証言がなければどんな考察を加えられない」。このシーンは分かりやす過ぎる、そして主題を限定してしまう伏線とも言えるが、なければどういう話なのかさっぱり分からなかったと思う。

これらの言葉に象徴されているように、トニーの記憶が事実とは違っていたことが明らかになっていく。彼は他人を傷つけた記憶を自身に都合よく書き換え、美しい思い出と共に平穏な老後を過ごしていた。そこにある欺瞞を暴くことで、人や自分との関わり方を考えさせる映画である。

若い頃のベロニカ(フレイア・メイヴァー)は男を惑わす女である。実家に招待したトニーに「最高にみだらな眠りを」という桃色な言葉でお休みを告げ、彼は一人で“このあと滅茶苦茶……”である。車内での情事も大事なところはお預けで「私達の関係にこの先は必要なの?」と言う始末。三十郎氏は「これではトニーが不憫だ」と思いながら観ていたのだが、後の展開から考えるとこれらの記憶も、「自分がベロニカを傷つけた記憶」を「ベロニカが自分を傷つけた記憶」に改竄していただけなのかもしれない。

本作はトニーという偏屈老人が自身の過去の過ちに気付く話だが、ベロニカやトニーの元妻マーガレットが記憶を改竄していないと言い切れるだろうか。この話が面白いとすれば、それは自身の身につまされるところがあるからである。誰しもトニーのように無自覚に記憶を改竄することがありうるからこそこの話は興味深い。ある意味でお互い様である。

しかし、そうやって開き直ることが良いとも思えない。一方で、変えられない過去のために不幸になるべきなのかも分からない。皆がそうなのに自分だけが自覚して傷つくべきなのか(自覚していてもそれが事実だとは分かり得ないわけで)。記憶と向き合うことは自分自身の人生のあり方と向き合うことなのだろう。人生ってやつは難しい。老人になる頃には分かるのだろうか。いや、分からないままだろう。

リストカットで自殺を試みる場合、横に切ると気絶している内に傷口が閉じてしまうので、斜めに切ると成功率が上がるらしい。

大酒飲みは酒の成分でハゲないらしい。……マジで?

ベロニカとの記憶(字幕版)

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終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)

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