オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『レイジング・ブル』

Raging Bull, 129min

監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロジョー・ペシ

他:アカデミー賞主演男優賞ロバート・デ・ニーロ)、編集賞セルマ・スクーンメイカー

★★★★★

概要

ジェイク・ラモッタの半生。

短評

体育会系アレルギーの三十郎氏に言わせれば「健全なる精神は健全なる身体に宿る」などという言葉は真っ赤な嘘である(そもそもが誤用なのだが)。『ロッキー』のようなスポ根ドラマは確かに楽しいが、所詮は作り物の感動である。人間の内包する隠しきれない野蛮さの発散こそがスポーツの本質なのだ。

感想

モノクロの美しい映像で紡ぐ、醜い暴力と嫉妬の物語。特に冒頭のスローモーションは、三十郎氏の知る限り最も美しいシーンの一つである。言わずもがな傑作であり、スコセッシ、デ・ニーロ、ジョー・ペシの黄金トリオが初めて揃った作品である(脚本のポール・シュレイダーも含めた黄金カルテットが揃った唯一の作品でもある)。

王座獲得からの引退、離婚、逮捕というモチーフをずっと栄光と転落の物語だと思っていたのだが、改めて本作を観て考え直した(そもそも栄光の部分がサラッと流されている)。シュガー・レイ・ロビンソンと死闘を繰り広げた後に、ボコボコの笑顔で「倒れなかったぞ」と言い張ったように、彼はその後も何があろうと決して倒れなかった。これがジェイク・ラモッタロバート・デ・ニーロ)という男に一貫した本質ではないだろうか。事実、ラモッタは2017年に95歳で大往生を遂げており、最後まで倒れなかった男である。それが独り善がりであったとしても、彼の強さも弱さも源泉はそこにあったのではないか。

ボクシング映画としては『チャンピオン』の系譜に位置づけられそうである。どちらも華やかなリングの裏にある影を描いている。“裏にある影”と言っても、それらはモノクロ映像の強いコントラストのように分離しているわけではない。リングの上でだけは別人になれるわけでもない。全てが繋がっている。二時間という時間の中に、一人の人生が凝縮されて詰まっている。見せ場が見せ場としてだけ存在し、そこに収束させるために話が展開するのではなく、人生の一ページである見せ場が人生そのものを象徴している。映画というのはこういうものなのですね、スコセッシ監督!

試合の演出としては、リング内に入ったカメラのスムーズな移動や、ストロボの閃光で一瞬時が止まったように感じるものが印象的だった。殴られて切れた顔からスプラッター映画のように血が吹き出す演出は過度に暴力性を強調しており(審判にかかるほど出血する)、ボクシングという競技の本質を暴いていると言える。対して試合後にロープを追っていくと、ラモッタがもたれ掛かっていた場所に染み込んだ血が静かに滴っている。この対比が実に美しい。

もっとも本作の暴力はリングだけに留まらない。判定に不満を持った客席では、ポップコーン、椅子、そして観客が飛び交う。ラモッタは、私生活でも弟のジョーイ(ジョー・ペシ)に「俺を殴ってみろ」とけしかけ、最初の妻とは喧嘩が絶えず(ステーキの焼き加減から夜のお出掛けまで至るところで痴話喧嘩)、再婚相手のビッキー(キャシー・モリアーティ)には猜疑心を剥き出しにして暴力を振るう。これらのクズみたいな人生が淡々と描かれており、リングの上での出来事を除いて考えれば、全てが自然な流れだったように思える。

クリスチャン・ベールのように太ったり痩せたりする俳優はいるが、一つの作品内でこれだけ体重に変化があったのは本作のデ・ニーロだけではないだろうか。特殊メイクやCGのある現代ではもう出てこないアプローチだろう(健康面も心配である)。上半身裸で寝ている時にゆっくりと上下する腹の貫禄は間違いなく本物である。

ビッキーとの射精に至らない性描写が奥ゆかしい(その後に氷水で冷やすところは笑える。追撃を受けても断る精神力は流石か)。寝室にはロザリオや十字架、聖母画があり、彼は常に見られている。こんなに敬虔で奥ゆかしかったスコセッシが、お下劣100%の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を撮るなんて。ハリウッドに毒されたのか。アメリカという国が変わったのか。