オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『恐怖の岬』

Cape Fear, 105min

監督:J・リー・トンプソン 出演:グレゴリー・ペックロバート・ミッチャム

★★★★

概要

逆恨み男に付け回される話。

短評

スコセッシが1991年にリメイクした『ケープ・フィアー』の、1962年のオリジナル版。約束された傑作『アイリッシュマン』の配信開始に向けて、過去の監督作品を復習して気分を盛り上げようという試みである(東京国際映画祭に行くのは諦めたので11/27の配信待ち)。リメイクものならばオリジナル版を観ればスコセッシの凄さを再認識できるはず。ところがオリジナル版もとても面白いのだから困ったものである。

あらすじ

弁護士のサム・ボーデン(グレゴリー・ペック)を、葉巻を咥えパナマ帽を被った一人の怪しげな男が訪れる。男の名はマックス・ケイディロバート・ミッチャム)。8年前の裁判でサムが不利な証言をしたために有罪となった男である。「何の用だ」と問うサムに対し、マックス「一言あいさつをしにきただけだ」と不敵に笑う。そしてマックスの復讐が静かに幕を開ける。

感想

ロバート・ミッチャムが怖い。自分が有罪に追い込んだ男がお礼参りにやって来るなんて、三十郎氏ならそれだけで失禁するシチュエーションである。お礼参りにやって来なくても、その影に怯え周囲を気にしまくる統合失調症的生活を送ることになるに違いない。しかし、サムは弁護士で地元の名士だし、警察署長とも友達で強気である。「あの野郎ふざけやがって。署長、なんとかしてくれや」と裏で手を回す。

ところが、そんなことはマックスの想定内。8年間の刑務所暮らしの中で法律を勉強し、対策は十分なのである(放浪罪といった古い法律風景が垣間見えるのも本作の面白いところ)。飼い犬を殺されたが証拠はなく、他に何か仕掛けてくるかと思いきや、マックスは遠くで禍々しい笑みを浮かべながらボーデン家を眺めているだけ。何もしてこないということがこんなにも怖いなんて。マックスはクライマックスの“ケープ・フィアー川”の決闘まで何も手出ししてこない。対するサムは強気な割にビビりまくって悪手を打ちまくる。

マックスのサムに対する恨みは純粋な逆恨みである。リメイク版では逆恨みとも言い切れないような設定になっているので、本作は“善良な一般市民が受ける謂れなき恐怖”が強調される形になっている。触らぬ神に祟りなし。しかし、見逃すのは正義にもとる。“正しいこと”をしたい人にはいつ降り掛かってきても不思議ではない恐怖である。しかもそのほとんどが暴力を伴わない。いるだけで怖い。何もしてこないから何をしてくるのか分からなくて恐怖が増幅されていく。この緊張感はヒッチコックっぽいところがある。

特に好きなのは、マックスを買収して引き下がらせようとするサムに対し、マックスが「7年間毎日同じ男を殺すことだけを考え続けた。8年目にそれじゃ甘いと気付いた」と返すシーンである。それまではマックスの逆恨みがどの程度のものであるか想像するしかないので、得体の知れない気味悪さがあったが、8年間に渡って増幅され続けてきたとなれば、既に取り返しのつかない怨霊にも似た存在となっている。ここで初めて“いるだけの恐怖”が具体性を帯びるのである。もうどうしようもない。逃げられない。怖い。

もう一つ好きなのは、マックスにバーでナンパされたダイアン(他の男と話すダイアンに対し「お友達には帰ってもらいな」と一言)という女性が、マックスに暴力を振るわれながらも怖くなって警察に証言ができないシーン。こいつ、どれだけヤバい奴なんだよ。暴力性も恐ろしいが、被害者が何もできないことを見抜いている知性も恐ろしい。

モノクロ映画なので、顔の陰影が強調されたロバート・ミッチャムの表情が本当に不気味である。三十郎氏はピカイチの怪演だと思うのだが、彼はオスカーには縁がなかったらしい。一方、本作では特に印象に残らないサム役のグレゴリー・ペックは同年に『アラバマ物語』で主演男優賞を獲得している。皮肉なものである。

最後はマックスを司法の手に委ねることに決めたサムだったが、波止場のゴロツキを雇ってマックスを襲撃させた彼自身も司法の手に委ねられるはずである。映画の後はどうなったのだろう。またいつか現れるのではないかという恐怖の余韻が残る。

恐怖の岬 (字幕版)

恐怖の岬 (字幕版)