オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『十二人の怒れる男』

12 Angry Men, 96min

監督:シドニー・ルメット 出演:ヘンリー・フォンダジャック・ウォーデン

他:金熊賞

★★★★★

概要

有罪濃厚の殺人事件に“合理的な疑い”を差し挟む話。

短評

日本の裁判員制度がスタートして早10年。義務教育のカリキュラムに取り入れて、全ての国民が観ておくべきだと確信する名作中の名作である。刑事裁判の考え方についてはもちろんのこと、それ以外の正義の在り方についても示唆的なことに驚かされる。教育的な目的だけでなく、90分間密室で会話劇が繰り広げられるという地味さなのに片時も目が離せないというスリリングな傑作である。

あらすじ

少年が父親殺しの容疑をかけられた刑事事件。第一級殺人であり、有罪ならば少年は死刑である。証拠や証言も出揃い、陪審員12人の内1人を除いては有罪を確信している。果たして、このまま少年を有罪に処するのは正しいのか。

感想

「偏見が事実を曇らせる」とか「刑事事件の立証責任は検察にある」といった原則を鮮明に描いてみせた第一義的な素晴らしさは今更改めて述べるまでもないだろう。初めて観たときには感動すら覚えたが、三十郎氏のようないい年をしたおっさんなら「そんなこと言われなくても十分に理解してますよ」と言えるようでなくては恥ずかしい。それらを理解するための最適な教材が本作なので中学生に観せるべきだと感じるが、大人になっても本作の内容を理解していない人がいれば、それは公教育の失敗である。

改めて観て素晴らしく思うのは、その原則を浮き上がらせる構成の妙である。陪審員が最初に決を採ったときは11対1の有罪多数。そこで、陪審員12番(ロバート・ウェッバー)が「無罪派の1人を有罪派が説得しよう」と言い出す。この提案が、少年の弁護人が真面目に働かずまともに機能しなかった刑事裁判を代替している。刑事裁判において被告人が無実を証明する必要はない。有罪派の陪審員たちはそれぞれ検察の主張を信じた理由を述べるが、陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)の反論により、そこには疑いを差し挟む余地がありそうだということが明らかになっていく。

こうして初めて議論の土壌が整う。殺人を目撃したり悲鳴を聞いたという証言や凶器となったナイフの証拠能力について真剣に検討すると、その不確かさや綻びが明らかになる。

では、どうして11人の陪審員たちは検察の主張を信じ込んだのか。一つには、被告人の少年への偏見がある。少年が前科持ちのチンピラであるという事実が「いかにもこいつなら殺していそうだ」という偏見を生じさせる。もう一つには、陪審員たちそれぞれの事情が反映されている。有罪派は、主に決め付け強行派と無関心層に分けられる(そこに証言に基づいた冷静な有罪派の1人を入れる構成も上手い)。前者は、強い偏見や処罰感情に基づいて意思決定している。後者は、仕事や野球のことが気になって真面目に考えていなかったり、考え事が苦手だからという理由で検察の主張をそのまま受け入れている。

ここで示唆的なのは、裁判員でなくとも一般市民が事件のニュースに接したときに、彼ら有罪派と同じような思考経路を辿って犯人を決めつけにかかっているということである。昨今のネットリンチを見れば、市民の処罰感情は暴走しがちであることがよく分かる。そして、証拠ではなく処罰感情が有罪であるという主張を補強している点を同じである。本作が描いているのは陪審員制度だが、その射程は現代社会そのものにまで広がっている。原作者のレジナルド・ローズも、まさか市民がここまで成長しないままだとは思わなかっただろう。

陪審員8番に対して陪審員6番(エドワード・ビンズ)が「もし少年が犯人なら?」と疑問を投げかける。これは非常に勘違いされやすいが、「少年が犯人か否か」と「犯人は処罰されなければならない」というのは別問題である。先走った後者の感情は、誰か犯人がいてくれなくては行き場を失ってしまう。そうならぬように誰かに犯人役を押し付けようとしてしまう。これは非常に危険である。仮に少年が犯人だとしても、検察の主張に合理的な疑いを差し挟む余地があるならば、それは検察の怠慢である。責められるべきは少年ではなく検察である。犯人に正当な処罰を加えたいというのは、本来陪審の問題であってはならない。犯人と容疑者を混同してはならない。

他にも、有罪派だった陪審員が疑問を呈すると「お前は有罪派だろ」と事の本質よりも自分の味方が否かを重視しようとする者が出る辺りは、ネット上に限らずの議論(という名の一方的な主張の投げつけ合い)で辟易するほど見かける光景である。真剣に検討すると矛盾の判明する証言が、どうやら日陰者が注目を集めたいがために都合の良いことを言っているらしいというのも、ネットに溢れる虚言症さんたちそのものである。この辺りは非常にハッとさせられた。本作は陪審という制度だけでなく、人というものをこれ以上ないほどに描いている。

印象的だったのは最後まで有罪に固執した陪審員3番(リー・J・コッブ)である。彼は息子との確執という個人的背景から、父親殺しの少年に処罰をくださねばならぬという妄念に取り憑かれている。墓穴を掘りまくってその危うさを明らかにする男である。人が何かを見るとき、それは自分を映し出す鏡になっているということや、一度決めた意見を変えることの難しさを浮かび上がらせる象徴的なキャラクターである。

今回は二度目の鑑賞なので少し退屈に感じるかなと思って観たら、逆に現代的な射程の広さに驚かされた。文句の付けようがない本当に凄い映画である。