オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『マトリックス』

The Matrix, 136min

監督:ウォシャウスキー兄弟(当時) 出演:キアヌ・リーブスキャリー=アン・モス

他:アカデミー視覚効果賞(ジョン・ゲイター他)、編集賞(ザック・ステンバーグ)、音響賞(ジョン・T・リッツ他)、音響編集賞(デーン・デイヴィス)

★★★★★

概要

人類を電池として使役するコンピューターと戦う話。

短評

1999年という年は三十郎氏の人生に絶大なる影響を与えた一年である。その年の夏、父に連れられて観に行った『スター・ウォーズ EP1/ファントム・メナス』。「この世にはこんなにも面白いものがあるのか」と度肝を抜かれた。それまでに観てきた映画のことは全て忘れた。そのちっぽけな脳みその中身は全てスター・ウォーズに書き換えられた。パラダイム・シフトが起きた瞬間である。扉が開かれた。そして秋、三十郎氏は『マトリックス』に出会った。今日まで、そして恐らくは死ぬまで続くであろう「映画が観られれば他の事はどうでもいいや」という映画ジャンキー的人生の道へと踏み出したのである。

感想

正直なところ、三十郎氏は今日に至ってもマトリックス内での出来事が、コンピューターの世界で何を意味しているのかやメタファーを未だによく理解していない。初めて観たときにはもっとチンプンカンプンだったはずである。しかし、そんなことはことは関係ない。だって格好いいんだもの。当時、学校で何人の男子が、膝を前に突き出し身体を反らせるという間違った姿勢で「俺はマトリックスができる」と言い張ったことだろう。マシンガン撮影と呼ばれたバレットタイムが速さを表現する目的であることも理解せず、ただただ格好いいというプリミティブな憧れが三十郎氏を支配していた。その格好良さは今日でも健在である。

本作に出会った当初は自分なりに色々と情報を漁って楽しんだものである。「これがこういう意味で~」みたいな話に感心しきりだった気がする。しかし、今なおよく分かっていないということは、他人の言葉をなぞるだけで本当に理解していたとは言えなかっただろう。その後も解説を読んで理解を深められる機会は幾度もあったはずだが、「別に分からなくても楽しいし次に観る時でいいか」と後回しにし続けて20年が経過している(こんなにも前の映画なのか!)。今思えばこれが三十郎氏の映画的原体験となり、「よく分かっていなくても楽しければ構わない」という怠惰な映画ファンの誕生へと繋がったのである。

無駄に長い自分語りになってしまった。特別な映画とは、映画の内容そのものよりも、自分とその映画との関係の方が重要な作品なのかもしれない。しかし、これでは感想にならない。今改めて観て思うことを書き残しておこう。

初めて観たときには、サイファーに対して「なんちゅう悪い奴だ!」と憤ったものである。年を経ると、戦って苦しむよりも「知らぬが仏」という彼の気持ちが理解できるような気がしてきた。人間が疑いを持たずに済むような自由度の高い夢を見せ続けてくれるなんてコンピューターも良い奴ではないか。自分がサイファーの立場なら同じ行動をするかもしれん。更に年を経て、三十郎氏には仲間を裏切って殺す勇気はないということを理解した。今の三十郎氏が赤い薬を飲んだなら、「マトリックスに帰りたい……」と泣き言を漏らしつつ、仕方なしに指示に従い、ミスをしてメンバーに迷惑を掛けるかエージェントに殺されるかだろう。

時を経てもストーリーが色褪せないことは、あらゆる名作に共通する必要条件である。マシンが人間を支配する『ターミネーター』の世界を経て、人間はコンピューターに飼育される家畜に成り下がった。この近未来的SFの設定は、少なくとも三十郎氏が死ぬまでは訴求力を失いそうにない。現実が映画を追い越した世界を見てみたい気もするが、このようなディストピア的形で実現するのは避けていただきたい。

加えて重要なのはビジュアルである。本作を“よく分かっていなくても”楽しめるのは、当時革新的とされ模倣され尽くした映像表現のおかげである。模倣され過ぎて陳腐化してもおかしくないのに、今なお新鮮味があるのは、後続作品の“マトリックス的”な表現が“マトリックス的”の範疇を超えなかったからだろう。波打ち砕け散るガラスや、西部劇的な睨み合いからの激しい格闘。格好いいシーンを撮る抜群の才能を見せたウォシャウスキー兄弟(当時)が、他の作品ではその能力を活かしきれていないのは残念で仕方がない。

ワイヤーを使ったカンフー・アクションは少し時代遅れ感が出てきたが、それでも「おっ!」と思わせられる動きも多い。現代のアクションは更に速くなっている。細かいカットを積み重ねることが増え、“動き”としてのアクションで魅せるというよりも、“一連のシーン”としての迫力が求められているように思う。この時代のアクションに慣れ親しんだ世代としては少し寂しくもあるが、この映像的転換が多くの“最強のおっさん”映画を生み出した功績は無視できない。

対称的に全く古さを感じさせないのは、モーフィアス救出のためにビルに突撃する豪快なシーンである。BGMで流れている『Spybreak!』の格好良さと相まって、映画史上屈指の格好いいアクション・シーンに仕上がっている。不思議な世界観に惹き付けられ、ネオが能力を発揮しはじめてドキドキし、ここで爆発する。このシーンだけを永遠にループしても構わない。よくよく考えると的を広げるような無駄な動きもあったりするのだが、多くの少年たちが壁を使ったジャンプキックの練習をしたように、格好いいのだから仕方がない。

再び自分語りに戻るが、映画以外の部分でも本作は三十郎氏に影響を与えた。キメキメのモード・ファッションに身を包んで黒歴史と化したわけではない。音楽である。三十郎氏は本作をきっかけに洋楽を聞くようになった。大学時代のアニオタ期にアニソンを聞いていた以外は、J-POPと無縁の人生を歩むこととなった。おかげで流行が全く分からぬ。きっとこの頃から話題を共有するために何かをするという努力を放棄しはじめたのではないかと思う。

EDクレジットで流れるRage Against the MachineMarilyn Mansonは鮮烈であった。今彼らの音楽を大音量で聞き続けてその世界に浸るのは体力がついて行けないものの、ちょっと聞いてみるとやはり格好いい。『Wake up』のリフは抜群だし、『Rock is Dead』は今でもノレる。

設定、映像、音楽の三拍子揃った格好いい映画であるが、登場人物の格好よさに触れないわけにはいかないだろう。見た目からして救世主感に溢れるキアヌは言うまでもなく、やはりトリニティである。映画をたくさん観るようになった今でも、彼女ほど黒髪の似合う美しく格好いいヒロインを他に知らない。ブルネットはいても真っ黒は珍しい。三十郎氏も華のあるブロンドに惹かれることは否定できないが、黒髪美人界の最高峰であるキャリー=アン・モスマトリックス・シリーズ以外にこれと言った代表作を得られなかったのは映画界全体の損失だと思う。

好きな台詞は“Dodge this.”。タイミングとトリニティの立ち姿が完璧に決まり過ぎである。この台詞のおかげでドッジボールという競技の本質が相手にボールをぶつけることではないと理解した。それ以降の三十郎氏はヒーローになろうとせず避けることに専念し、日陰者街道を邁進したのである。

マトリックス (字幕版)