オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ソラリス』スタニスワフ・レム

Solaris/Stanisław Lem

概要

ソラリスで死んだ恋人に出会う話。

感想

森見登美彦をつくった100作』のNo.88。登美彦氏は本書を次のように紹介している。

「謎のシステムのまわりをウロウロする」という作品に心惹かれるのです。『ペンギン・ハイウェイ』を書くにあたって、おおいに影響を受けました。 

河出書房新社編集部『総特集 森見登美彦: 作家は机上で冒険する!』より

森見登美彦をつくった100作」に挙げられているのは、飯田規和訳の『ソラリスの陽のもとに』だが、今回は沼野充義訳の『ソラリス』を読んだ。少しでも訳が新しい方がきっと読みやすいだろう。前者はロシア語からの重訳なので誤訳があったり、ソ連の検閲により削除されている箇所があるそうだが、後者はポーランド語の原著からの直訳で、それらの問題が解消されているそうである。

タルコフスキー版『惑星ソラリス』の途中で睡魔に屈した記憶ばかりが印象にあり、なかなか手を伸ばせなかった一冊である。結論から書くと、ホラー、ラブ・ロマンス、未知との遭遇、宇宙的叙事詩といった要素がふんだんに盛り込まれていて退屈することはなかった。本編は350頁ほどなので、タルコフスキーの3時間弱のように永遠を感じることもなかった。

ペンギン・ハイウェイ』の“海”とは何かを理解する上で必要だろうと意気込んで読んだ一冊である。しかしながら、本作が『ペンギン・ハイウェイ』の理解を手助けしてくれるかもしれないという期待のようなものはものの見事に粉砕された。ソラリスの地表の大部分を覆う“海”とは、“理解し得ない存在”なのである。

巻末の役者解説にレフによる自己解題が掲載されている。それによると「宇宙がたんに『銀河系の規模に拡大された地球』だと思うのは間違っている」。作中では「われわれは宇宙を征服したいわけでは全然なく、ただ、宇宙の果てまで地球を押し広げたいだけなんだ」と述べられている。

“海”とは現象である。それを通じて浮かび上がる認識や哲学の問題は、元々人間の側に内在していたものである。われわれは未知の存在と遭遇したときに、その目的や存在理由を疑問に思い、解明しようと試みるが、それらはただ存在する現象に自己の認識や問題を投影しているに過ぎない。“何が起きているのか”を解明することと“それが何なのか”という答えを求めることは、必ずしもイコールではない。

ソラリスの“海”も、アオヤマくんの“海”も不思議な現象を引き起こす。「これは一体何なのだろう?」ということばかり気にしていると、その現象に投影されている人間側の問題を見落としてしまう。この世界のどこかには“理解し得ない存在”があるのかもしれないし、目的もあるのか知れない。しかし、物語に登場する“理解し得ない存在”は、理解しようとせず、道具的な役割だと割り切った方が三十郎氏の如き阿呆は本質を見落とさずに済んでよいのかもしれない。

ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)

ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)