オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』

Der Staat gegen Fritz Bauer(The People vs. Fritz Bauer), 105min

監督:ラース・クラウメ 出演:ブルクハルト・クラウスナー、ロナルド・ツェアフェルト

★★★

概要

ドイツの検事長アイヒマン逮捕に尽力する話。

短評

重要なことはバウアーのこの言葉に集約されている。「どんな日でも昼と夜があるように、どの民族の歴史にも陽の部分と陰の部分がある」。歴史の中には目を背けたいようなこともある。しかし、陰の部分と向き合わなければ間違いを繰り返す。ドイツが定期的にナチスを題材とした映画を製作することは、(フィクションを混じえていたとしても)それ自体に意味がある。

あらすじ

戦後のドイツで要職を占めていたナチス残党の妨害によりバウアーの捜査は難航を極める。ユダヤ人である彼の復讐心と呼ぶべき執念が実を結ぶも、ナチ残党による妨害はなお続く。モサドによってアイヒマンが拉致されるも、彼の裁判がイスラエルで行われたことはご存知の通りである。

感想

日本と異なりドイツでは戦争犯罪者たちが徹底糾弾されたものと勝手に思い込んでいたが、そんなことはなかったらしい。アイヒマンの逮捕やヒトラーたちの自殺の印象が強いが、有名人以外は上手く潜り抜けていたとは。他国のことながら腹立たしい。彼らにもCIAの協力者といった裏の顔があったのだろうか。

国民が「小さな家と車」を求めて経済復興を最優先としたのは日本も同じである。しかし、過去との向き合い方に違いがあるように感じるのは、「責任の所在」と「被害者の存在」に違いが理由であるように思う。ナチスという責任の明確な所在があれば、ナチスのような存在を二度と生み出さないという分かりやすい課題設定ができる。また、ユダヤ人という明確な被害者がいれば、過去に対する怒りが消えることはない。第二次大戦の日本における「責任」や「被害者」の認識、そしてそこへ導いた国民の責任は共有されているのだろうか。

バウアーがチップを払わずホテルのボーイを困らせるシーンがある。ドイツにチップの文化がないのか、バウアーがケチなのか。