オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。

『魂のゆくえ』

First Reformed, 113min

★★★

あらすじ

トラー牧師の日記。

感想

脚本家としては輝かしいキャリアを誇りながら監督としては今ひとつ信用できないポール・シュレイダーだが、本作は面白かった。ただ、キリスト教という宗教の枠で考えなければならないので、どうしてもついていけない部分はあった。

「環境破壊で世界はもう駄目だ。こんな世界で子どもを産みたくない」という相談を寄せられたトラー牧師(イーサン・ホーク)。「明日また会って話そう。いいね?」なんて話している内に相談者のマイケルは自殺してしまう。

牧師が信仰で解決できない問題に直面し、信仰に悩む話である。キリスト教徒に限らず宗教を信仰する者は、あらゆるものを神に結びつけようとする。「父親がリストラされて苦しんでる。神様はなんでこんなことするの」といった些細なものから「神の創りし世界の破壊が何故許されるのか」といったものまで。彼らは教会関係者に相談する。教会の人なら神の考えについて詳しかろう。牧師はあらゆる問題について宗教的説明を求められる。中には当然解決不能なものがあり、信仰との矛盾と共に抱え込むことになる。

現代の問題は複雑化している。状況も複雑化している。それは聖書が想定していなかったものに違いない。問題の解決を求めて先鋭化する若者たちと対称的に、大人たちは妥協点を見出そうとする。それは教会が環境破壊で儲ける企業からの寄付で維持され、信仰よりも経済が優先される矛盾を生む。環境破壊を前に「この状況も神のご意思かもしれん」と言う欺瞞を生む。悩む牧師を先鋭化させる。

問題の解決を求めて先鋭化していく背景に宗教があるという発想は目から鱗だった。近年欧米でフェミニズムヴィーガンが過激化する背景にも聖戦という思想があるのだろう。「自分たちこそが正しい。間違った相手は叩き直さねばならん」。日本で社会運動やデモが拡大せず時に冷ややかな視線を浴びせられるのは、中庸が良しとする儒教文化が良くも悪くも染み付いているからだろうか。

トラーという個人と環境問題を重ねて考えることも可能だと思う。何かが蝕まれているときに人々はなるべく穏便に無視しようとする。気付いたときには既に取り返しがつかない。あるいは、取り返しがつかないことをもってはじめて問題の定義に当てはまる。

ラストシーンのトラーは既に事切れているのではないかと考えている。直前にジェファーズ牧師が訪れた時には開けられなかった扉が開き(ノックしただけで開けようとしなかったのか記憶が定かでない)、メアリー(アマンダ・セイフライド)がトラーをエルンストというファーストネームで呼ぶ違和感が理由である。彼は死に際して愛を夢見た。実際にメアリーに救われたにせよ、死に絶えながら彼女を想ったにせよ、彼にとって愛が答えになったことは変わらないだろう。

よく分っていないが強烈な印象を残す映画だということは確かである。いずれもう一度観なけれなならない映画のリストが増えた。