オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』

The Killing of a Sacred Dear, 120min

監督:ヨルゴス・ランティモス 出演:コリン・ファレルバリー・コーガン

★★★★

概要

心臓外科医の一家が謎の少年に狙われる話。

短評

脚本を別人が務めていたため、分かりやすく面白かった『女王陛下のお気に入り』とは異なり、本作は監督も脚本もヨルゴス・ランティモスである。ランティモスの純度が上がると、当然よく分からなくなる。こんな時にジャンルの偉大さを思い知らされる。意味が分からずとも怖い。意味が分からないから怖い。とにかく怖い。立派なホラー映画である。

感想

映画の序盤に揺さぶられる感情は「不安」である。主人公のスティーブン(コリン・ファレル)と話している少年マーティン(バリー・コーガン)は一体何者なのか。前妻との間の息子と考えるにはぎこちないし、家に招待して家族に紹介するので「いけない関係」というわけでもないらしい。明らかに不自然な状況に対しマーティンだけがのうのうと振る舞っている。

マーティンの正体やスティーブンの過去が判明すると、今度は「恐怖」に襲われる。ここで重要なのは「恐怖」という強い感情が喚起されても「不安」が損なわれない点である。マーティンの狙いは分かった。しかし、彼が実のところ何を考えているのか、何をしているのか読み取れない。一家を襲う死の恐怖と共に、先の展開への不安は維持される。

最後に浮かび上がる感情は意外なことに「笑い」である。「恐怖」と「笑い」が同居している。死の恐怖の晒されている一家の母、娘、息子が一様に命乞いを始める。この光景が恐ろしく滑稽である。特に母親のアナが「子どもはまたつくればいいから私は殺さないで」と生殺与奪を握る夫に跨るシーンは、滑稽とも恐怖ともつかない複雑な感情に襲われる。下半身を引き摺って移動することに慣れていくのも、命を懸けた目隠しグルグルも滑稽である。追い詰められたときの行動から人間の滑稽さを炙り出していくのがランティモスらしい。

本作は『イピゲネイアの悲劇』というギリシア神話を下敷きにしているそうである。劇中でもタイトルに言及がある。三十郎氏はこの話を全く知らないし理解もしていないので、ここに詳しく書くことはできない。ただ、知らなくてもホラー映画としては十分に楽しめる。しかし、少しでも分かればもっと面白いはずである。

弦楽器の不協和音や『シャイニング』的なステディカムの映像が不気味である。何より不気味なのはマーティンを演じるバリー・コーガンで、ちょっとしたトラウマである。『ダンケルク』で頭を打って死んだ少年がこんな芸達者だとは思わなかった。

50才になろうかというのに、あの見事なスタイルを維持しているニコール・キッドマンは凄いとしか言いようがない。ただ、かつてはナチュラルであったはずの彼女の乳房が不自然で硬そうな物体に変化していたのは残念だった(その後摘出したそうである)。彼女が夫の同僚に手淫を施しているときの「早くイケよ」と言わんばかりの侮蔑の込もった表情がたまらない。男性の性欲が機械的に処理される点は他作品にも共通している。

娘のキムを演じるラフィー・キャシディのそばかすが可愛らしい。『トゥモローランド』の橋本環奈似の美少女が成長して少し大人びた色気も見せている。こちらはニコール・キッドマンの遺伝子を受け継いだ娘役に相応しく、長い脚がスラッと伸びている。