オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『レトリック感覚』佐藤信夫

概要

レトリックの解説と用法。

感想

森見登美彦をつくった100作』のNo.83。登美彦氏は本書を次のように紹介している。

自分が小説を書いているときに感じる「言葉」の不思議さについて、たいへん丁寧に書かれていて感動した本です。いろいろ忘れてしまったので読み直さねばならん。 

河出書房新社編集部『総特集 森見登美彦: 作家は机上で冒険する!』より

討論に勝つための技術としてはじまったレトリックが、やがて別の役割、文章を魅力的たらしめる技術として発展した。本書では、直喩、隠喩、換喩、提喩の四種の比喩に加え、誇張法、列叙法、緩叙法の定義や効果が解説されている。

レトリックとは何か。本書の言葉を借りよう。

ふだん文章に接するとき、人は決して言葉の模様を«観察する»のではなく、たいては無心に«読む»。けれども、知らず識らず、私たちはそのことばづかいによって、快感をおぼえたり、退屈したり、ときには反感をいだいたりする。そこにレトリックがある。 

佐藤信夫『レトリック感覚』より

三十郎氏が小説を読むのは、話の筋を追うためでなく、レトリックを楽しむためであるということに気付かされた。そうでなければ、長い時間を掛けて読まずともあらすじだけに触れればよい。映画の鑑賞も同様に、映像言語におけるレトリックを楽しんでいるのである。

本書を読むことである程度はその仕組を理解することが出来るが、実際に小説を読みながらレトリックがどのように用いられているかを分析するのは、これがなかなか難しい。しかし、読者は無意識にレトリックを消化することができる。意識せずとも、意味を理解し楽しめるように書かれている。これが書き手の技術である。改めて考えると、凄いことをしているものだと感心する。

同時に、自身の文章がいかにレトリックに欠けたつまらぬものであるのかを自覚し、暗澹たる気分になる。しかし、三十郎氏とて全くレトリックを使っていないわけではない。読者として消化するのと同様に、無意識で使っていることがある。

例えば「ジェイソン・ステイサムは世界一格好いいハゲだ」と三十郎氏は称賛する。この「ハゲ」という言葉は「禿頭の男性」を置き換えた換喩である。「世界一」という言葉は、見方によっては誇張法かもしれない(三十郎氏は本当にそうだと考えているので意図とは違う)。

レトリックは、様々な形で我々の身体に染み付いている。しかし、意図して使いこなし、狙い通りの効果を読者に与えることは非常な困難を伴う。優秀な書き手たちには、どれほどの才能があり、またどれほどの訓練を通じて身に付けたのだろう。

本書を読めば、きっと「自分もレトリックを駆使して魅力的な文章を書きたい」と思うだろう。三十郎氏も思った。しかし、そこには落とし穴が待っている。ここで再び本書の言葉を借りたい。

レトリックの表現がいつももくろみどおりの効果を発揮するというわけではない。 読むときも、聴くときも、私たちの心のなかには、きっとどこか醒めている部分がある。だからであろう、やっときとなって、効果的でありたい、魅力的でありたい……と努力している愚かな言葉に出会うと、たちまち何かが白ける。

佐藤信夫『レトリック感覚』より

耳が痛い。自分では面白いつもりのこと書いてスベりたおしている全ての人間は、よくよく身に刻んでおくべきである。

本書は、自身の文章について、また他者の文章の読み方についても考えるきっかけとなる。読後は文中のレトリックを意識せずにはいられないはずである。

著者は「この世界の全てのものに名詞や形容詞といった言葉が与えられてはいない。限られた言葉で言葉になっていないものを表現しようとする試みがレトリックである」と主張している。自分の感じた言葉にならないことに適切な言葉を当てはめることができたらなら、どんなに素晴らしいだろう。

魅力的な文章を書きたい。これは抗しがたい願望である。しかし、三十郎氏の場合は、文章として最低限の体裁を整えることが先決である。三十を超えて「読点の打ち方が分からん」と悩んでいるのは、あまりにも情けない。

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)