オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『六番目の小夜子』恩田陸

概要

とある高校の生徒に伝わる伝統行事。

感想

森見登美彦をつくった100作』のNo.58。登美彦氏は本書を次のように紹介している。

恩田陸さんの小説はいろいろ読んでいて、どれか一つというのも難しいので、このデビュー作を挙げておきます。とにかく幅広く書かれる人ですが、やはり個人的に心惹かれるのは、現実が揺らぐような「不安」の描き方だと思っています。その感覚の料理の仕方によって、幻想小説にもなり、怪談にもなり、ミステリにもなります。根底にある「不安」が自分と似ている気がするのです。 

河出書房新社編集部『総特集 森見登美彦: 作家は机上で冒険する!』より

「サヨコ」のルール設定と、学園祭での劇が面白かった。学校という特殊な空間における無意味なものへの執着や、思春期特有の雰囲気がよく出ていると思う。

本作の中心人物の一人である関根秋は、頭脳明晰、容姿端麗、おまけに名家の出身というアニメキャラのような設定が気に障る男である。しかしながら、彼の「正面からのポートレートよりも、何かに集中している人をカメラを意識させずに撮りたい」という写真についての考え方には同意する。そんなことを考えていたら、小夜子から唐突に精神分析を突きつけられた。「第三者でいたい」「他人に踏み込まれたくない」「その他大勢になりたくない」。耳の痛いことを言う。

関根をはじめとして、登場人物には分かりやすいキャラクターや役割が付与されている。高校生活における思春期の男女の普遍的な感情が表現されているとも言えるが、そこに個性はない。

「AとBに付き合ってほしい」というような会話が出てくるのが女性的だと感じた。男性の場合、「外堀が埋まっているのなら付き合ってしまえばよいではないか」という呆れだったり、「あの子があんな男と付き合うなんて」という嫉妬や失望を表出することはあれど、他人同士に対する願望という形になることはないのではないか。いや、あるのかもしれない。少なくとも三十郎氏周辺においてはなかった。

本作においても重要な舞台となっている学園祭が、世間一般で高校生活の一大イベント扱いされていることを、三十郎氏は容易に受け入れられない。三十郎氏に通った高校には、そのような大規模イベントは無かった。「クラスの皆で泊まり込んで作業した」とか「他校の女子と仲良くなった」とかいう都市伝説がまことしやかに囁かれているが俄には信じ難い。特に後者である。全国の高校の内どれくらいの割合でこのような学園祭が開催されているのだろう。三十郎氏の高校にも学園祭さえあれば、暗黒の青春時代がきっと…。いや、だめだな。

六番目の小夜子 (新潮文庫)

六番目の小夜子 (新潮文庫)