オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『冥途・旅順入城式』内田百閒

概要

内田百閒の夢幻の短編集。

感想

森見登美彦をつくった100作』のNo.55。登美彦氏は本書を次のように紹介している。

この人の文章を読んでいるだけで満足だと初めて思ったのが内田百閒でした。ストーリーや内容だけではなくて、「文章そのものの魅力」というのが存在することに遅ればせながら気づいたわけです。しかも百閒は「諧謔的な随筆」と「怪談」の両方を書く人で、私が「阿呆な小説」と「怪談」を両方書くようになったのも、そのまま百閒の影響です。もしも学生時代に内田百閒を読みふける経験がなかったら、こんなふうに小説家になることもなかったと思います。 

河出書房新社編集部『総特集 森見登美彦: 作家は机上で冒険する!』より

登美彦氏は「読んでいるだけで満足」と絶賛する百閒の文章だが、三十郎氏には苦手なものであった。読み終えるのに一週間もかかり、何とか読み切ったという感じである。

文庫化に際して、旧漢字・旧仮名づかいが、新漢字・新仮名づかいに改められたそうだが、それでも読みづらさは否めない。また、読点が多く、日頃より「読点の打ち方が分からない」と悩んでいる三十郎氏を更なる混迷へと引きずり込んだ。

巻末にある種村季弘の解説によると、「異界の気配のみが濃密に迫ってくる」話であるらしい。読者としての力量不足によるものか(恐らくはこちら)、そもそもそういうものなのか、三十郎氏には気配に触れることすら叶わなかった。

文章や物語を読む時には、何かしらの意味を求めてしまう。意味を求めた結果、「よく分からない」という感想になるのは別に構わないと思っている。その意味へと繋がる取っ掛かりのようなものを探して手探りするも、手が空を切る時の不思議な感触が楽しいからである。

しかし、本作の場合は、そもそもどこに手を伸ばしたものか分からない。五里霧中の内に為す術なく読み終えてしまった。

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)