オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『デトロイト』

Detroit, 142min

監督:キャスリン・ビグロー 出演:ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター

★★★★

概要

黒人が暴動を起こして白人が暴走する話。

短評

「暴力では何も解決しない」という言葉はまやかしである。暴力を振るわれると困る者たちの言葉に過ぎない。暴力ほど効果的な解決策はない。しかし、暴力が日常に溢れていると皆困る。だからこそ市民は自分たちの身を護るため政府と擬似的な契約を結び、政府に暴力を独占させる。政府が市民を守らず、その契約が意味を成さなくなれば、市民が暴力を再び我がものとするのは必然である。しかし、暴力に対し暴力で応酬することもまた必然である。

あらすじ

デトロイトにおける無許可の酒場の摘発に端を発した暴動が拡大し、アルジェ・モーテルという本作の舞台に行き着く。悪戯で発射した玩具の空気銃の音をスナイパーの襲撃と勘違いした警官、警備員、州兵たちが発射音のしたモーテルに乗り込み、犯人を突き止めるべく捜査を開始する。彼らの取り調べは暴走の一途を辿り、悲劇的な結末を迎える。

感想

違法な取調べを主導するクラウス(ウィル・ポールター)は、差別主義者である。事件の前にも黒人男性を射殺し、提訴や処分を待つ身でありながら、暴動という緊急事態のために現場に残っている男である。彼は悪人と考えるべきだが、その悪人が悪人たりうる環境についても考えるべきである。

一つは、彼が警察官だということ。『es[エス]』というスタンフォード監獄実験をモデルにした映画でも描かれたように、立場が人を暴走させる。黒人容疑者を取り調べる白人警官という構図は、彼の悪辣な差別主義を、本人にとっては正義と錯覚させる絶好のシチュエーションである。一つは、現場に踏み込む際に、逃げようとする男を射殺したこと。殺さずともよい人間を殺してしまったことで、引っ込みがつかなくなる。自分たちはスナイパーに襲撃された被害者であり、何をしてでも犯人と証拠を見つけなければならないという状況を自ら作り出したことになる。

クラウスがいくら極悪の差別主義者だからといって、彼一人の暴走ならば止めようがあったはずである。「人権問題になりそうなことには関わりたくない」と立ち去った州警察や、彼の行動を行き過ぎだと認識していた州兵にも止めることができたはずである。しかし、彼らはその暴走を許した。「見て見ないふりをする」ことの罪が、クラウスの凶行と同様に憤りを感じさせる。その「見て見ないふりをした」人物の中で、最も印象に残るのが黒人の警備員ディスミュークス(ジョン・ボイエガ)である。

彼は「とにかく今夜を生き抜け」と容疑者の黒人をなだめる。黒人容疑者と白人警官の中間にいる存在で、その場を収めようとしているようにも見えるが、その実何もしていない。彼がその事実に気付くのは、自身が殺人の容疑者となり拘置所に収監される瞬間である。その時の彼の戦慄く表情には、怒りや後悔が詰まっている。

この「見て見ないふり」は暴動の根幹にもある。抗議に暴力が伴わなければ、人々は問題を見ないふりをし続ける。事件におけるクラウスを政府や制度、差別と言い換えれば、見ないふりをした全ての人間たちに暴動の責任がある。

事件の現場に白人女性(ジュリー役:ハンナ・マリー、カレン役:ケイトリン・ディーヴァー)がいたというのは史実のようだが、映画的にも効果的だったように思う。被害者の側にも白人を置くことで、黒人と白人の単純な人種対立のみに終始するのではなく、デトロイト市警による憎悪の暴走を際立たせることに成功している。

非常に後味の悪い映画である。事件後の裁判で警察官たちは無罪放免される。推定無罪という刑法の原則を信じている三十郎でさえも、司法制度の不備を痛感せざるを得ない。「互いを理解して歩み寄ることが大切」と心温まるような話ではない。対立の先に何があるのかを、苛烈さをもって痛烈に突きつける映画である。

クラウスを演じたウィル・ポールターの狂気に満ちた演技は素晴らしいので、アカデミー賞にノミネートくらいはされてもよかったのではないかと思う。同年のノミネートなら、黒人枠にはデンゼル・ワシントンが入っているし、『ゲット・アウト』のダニエル・カルーヤよりも明らかにインパクトがあった。

デトロイト(字幕版)

デトロイト(字幕版)