オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

続・森見登美彦『熱帯』の謎を追う

『熱帯』の著者は誰か

以前書いた記事では「『熱帯』を書いたのは誰か」という問いを再読時の指針とした。昨年12月に東京都某所で開催された「沈黙しない読書会」にて、同じ内容なのかは分からないが似たような問いが投げかけられたらしい。

とのことである。『熱帯』公式アカウントの達磨君が「会場外からの参加も歓迎。吾輩が質問をぶつける」と呟いていたのでリプライを送ってみたが、特に反応はなかった。

特定の人物によるものではない。個別の箇所が誰によるものであるかは検討の余地があろうが、残念ながら三十郎氏には分析に必要な知性も情熱も欠けている。そういうものは後世の森見文学研究者たちに任せたい。森見登美彦記念館に任期付きの特別研究員として雇われたポスドクたちが終身雇用を求めて血眼になって研究すればよい。

最大の疑問は一応の解答が得られたのでとりあえず無視することにしたが、他にもいたるところ謎だらけの小説である。今回発見したことや考えたことをまとめておきたい。例によって考察と呼べるレベルにないことは保証しておく。以下では、作中の森見登美彦氏を森見、学団の男・佐山尚一を佐山と記す。他の登場人物については作中の標記に準ずる。

語り手たる資格

第四、五章の『熱帯』以外にも語り手についての疑問がある。第一章は森見の一人称、第三章は池内氏の一人称、第四、五章はネモの一人称、後記は佐山尚一の一人称。他が全て一人称であるのに対し、第二章だけは三人称で書かれている。第二章は、第一章の終わりで語り初めた白石さんの物語だが、彼女は一人称で語っていない。

最も単純な解釈は、白石さんの話を聞いた森見が書いたというものであろう。第三~五章は手記の形を取っているので一人称になっているだけで、白石さんの話だけが一人称でないというのが不自然というわけではない。

誰が語り手であるかと同時に気になったのは、登場人物の読んでいる共通の本である。森見、池内氏の二人は共通して『ロビンソン・クルーソー』『宝島』『神秘の島』を読んでいる。それらの本の中で白石さんが読んでいるのは『ロビンソン・クルーソー』だけである。

未読のため詳しくは分からないが、『海底二万里』の登場人物であるネモ船長の正体は、その続編『神秘の島』で明かされるらしい。『神秘の島』を読んでいない白石さんはネモ船長の正体を知らない。『熱帯』においてネモの正体が分からないということは、自分を知らないということである。彼女は、自分が何者か、何を書くべきか分かっていないことが暗示されているのではないか。仕事を辞めて親戚の経営する店でアルバイト中というのは、いわゆる「自分探し」中に見えなくもない。

なお、この説は佐山が『神秘の島』を読んでいないという指摘に抗弁できない。佐山は『神秘の島』ではなく『海底二万里』を読んでいる。本当はネモの正体が分かっていないから、元いた京都とは別の京都に戻ってしまったというのは苦しいか。

ネモは手記『熱帯』の中で『神秘の島』の内容を覚えているという描写がある。

汝にかかわりなきことを語るなかれ。しからずんば汝は好まざることを聞くならん

「かかわりなきこと」とは何か。また「好まざること」とは何か。

本書の中で完全な嘘が登場するのは、ネモが魔王に対して島での出来事を語るシーン(p.333)のみである。嘘をついたネモは、話を続けることができなくなり小島に置き去りにされる。

シャハリヤールに物語を伝え聞かせるシャハラザードがそうであるように、登場人物たちは「話が面白ければ見逃してくれ」と命乞いとして物語を話す。『千一夜物語』の世界における「好まざること」とは、話がつまらない事と、その結果首を刎ねられ死ぬ事の二つを意味する。

ネモは嘘をついても殺されなかったが、自分が上手く語れることは、記憶の中にある自分に関わりのあることだと気付かされる。ネモは登美彦氏自身を投影した存在と言えるため、氏が語ることの出来る内容もまた自身の記憶の中にあり、それ以外のことは上手く語れない。氏の物語がつまならいということは、小説家としての死を意味する。

登美彦氏は偽京都を舞台とした嘘ばかり語っているように思われるが、それらの妄想には全て現実の材料がある。妄想にも土台が必要なのである。

その他

作品の解釈とはあまり関係ないレベルの小ネタたち。

  • みみしっぽう

沈黙読書会の会場で店主の話すみみしっぽうという生き物は『総特集 森見登美彦:作家は机上で冒険する!』に掲載されている『大草原の小さな家』に登場する。気になった人は読んでみてもいいし、謎のままにしておいてもいい。読んでも謎のままかもしれない。

  • 佐山の歌

コーラの自販機を目指して佐山が船を漕ぐ時に歌っている「Row, row, row your boat」という歌。その先は「Gently down the streem. Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream」と『熱帯』の世界を思わせる歌詞が続く。次の頁でネモが発する言葉は「なんだか夢を見ているみたいですね」。

  • 開けゴマ

マキさんが開かずの間たる祖父の図書室へ入る時の「開けゴマ!」という言葉。鍵のかかった扉を開ける時のお馴染みの合言葉だが、こちらの出典もまた『千一夜物語』である。アリババという男が盗賊の隠れ家へと入る合言葉を盗み聞く。その合言葉が「開けゴマ」である。

熱帯

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