オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

モリミマス

読者諸賢、ハッピー・モリミマス。

本日1月6日は、クリスマスファシズムに反旗を翻しアンチクリスマスの礎を築いた勇士・森見登美彦氏がこの世に生を受けた日である。氏の誕生を記念し祝うため三十郎氏は今日という日を森を見て過ごすことにした。かつてクリスマスに苦しみクリスマスを憎んだ森見信徒の皆様も安直かつ意味不明と馬鹿にすることなく来年から実践されるとよい。

ファンとしては作中に出てくる糺ノ森にでも行きたいところだが、三十郎氏は京都から遠く離れた場所に起居しているため、近場の森で済ませることにした。

午前中はよく晴れており絶好の森見日和であったが、三十郎氏が家を出ようとするなり太陽は恥ずかしがって顔を隠してしまった。夏の太陽にはもう少し恥じらいを持っていただきたいものだが、冬の太陽にはもう少し堂々としていただきたい。

身を切らない程度の寒さに「やはりやめておこうか」と弱気になるが挫けてはならぬ。三十郎氏がクリスマスの苦しみから解放されたのは氏の功績によるところが大きい。偉業は適切に讃えねばならない。果たして森を見ることが適切な讃え方なのかという点については議論の余地がある。適切な讃え方ではないというに指摘については一切の議論の余地がない。

自転車で近場の森にやって来た三十郎氏は、周囲の確認を怠ることなく森に分け入った。何者かに見咎められて「モリミマスを祝っている」と弁解したところで怪しさが増すばかりである。モリミマスで検索してもモミマスというマッサージ屋が出てくるばかりである。

森の外から聞く木々のざわめきは自然の音を感じられて良いものだが、木々の中に分け入って聞くざわめきは印象が変わる。三十郎氏は早くも虚しく、そして少し怖くなってきた。

心の内だけでも暖かさを感じようと『熱帯』を取り出して読もうと試みる。手袋をつけたままでは邪魔で頁をめくれず、手袋を外せば手がかじかんで頁をめくれない。読書は早々と諦めた。情けなさから目に涙が浮かんだのか、本の題が『寒帯』に見えた。

かじかんだ手を温めようと持参した缶珈琲を取り出すが、当然既に冷めきっている。何をしているのか分からなくなってきた。

珈琲を飲んでいると後ろから物音が聞こえた。匂いに釣られて猪でもやって来たのではないかとビクビクしながら後ろを振り向くと、そこにいたのはなんと妙齢の女性であった。

「お一人ですか」と尋ねる女性に「はい」とだけ返す三十郎氏。「私も一人なのですが、ちょっと怖くなってしまって。ご一緒してもいいですか」「構いませんよ」と薄気味悪い笑顔で三十郎氏が迎え入れるが、こんなところに一人でいる男と共に過ごす方が怖いだろう。「ここには何か用があって来られたのですか」と尋ねる三十郎に女性は「実は私、森見登美彦さんのファンなんです。今日は彼の誕生日なので森を見て過ごそうと思って来ました」「奇遇ですね。私も彼のファンで1月6日をモリミマスと呼んでいます」

そんな気色の悪い妄想をしていると虚しさに襲われたので「もんどり!もんどり!」と叫びながら天狗と成り果てる前に退散することにした。冷えた珈琲を飲んで尿意を催したという実際的な理由もある。

森を見てモリミマスを祝うという行為は明らかに失敗であった。原因は何か。時期が悪かったのか。森を見るという発想そのものが間違っていたのか。そもそもモリミマスってなんだ。もしかすると三十郎氏が見ていたのは森ではなく林だったのではないか。三十郎氏は森と林の違いを知らぬ。違いが分からないのなら近所の名もなき森ではなく、名のある森に行くべきだった。

「きっと来年は名のある森へ行こう」三十郎氏は決意した。糺ノ森ならば黒髪の乙女が氏の誕生日を祝っているかもしれない。

そんな意味不明な妄想をしていると日曜日が終わろうとしている。本日の三十郎氏は家から一歩も外に出ていないし、近所に森なんてない。

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