オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『【新釈】走れメロス 他四篇』森見登美彦

概要

厚い友情で結ばれた友のため決して約束を守らない男の話。他四篇。

感想

未完の大作に煮詰まった大学生が自家中毒に陥り天狗と成り果てる『山月記』。映画「屋上」を巡る関係者の証言を集めた『藪の中』。底抜けに愉快な桃色ブリーフ一丁で踊る『走れメロス』。恋人のことを書いたり書けなくなったりする『桜の森の満開の下』。以上四篇のオールスターに加え森見登美彦氏が集う『百物語』。

三十郎氏にとっての初めての森見作品が実はこの『【新釈】走れメロス 他四篇』である。大学の友人が「これ面白いよ」と貸してくれた一冊であった。三十郎氏が森見童貞を捨てた瞬間である。件の友人は京都出身のくせに金閣にも清水寺にも行ったことがないというふざけた男だったが、地元の有名な観光地を訪れたことがなかった三十郎氏に彼を避難する権利はない。

原典を読んでいたのは国語の教科書に出てきた覚えのある『山月記』と『走れメロス』の二つ。『藪の中』は映画『羅生門』の原作として知っており、残りの二つは今に至るも原典のことはさっぱり知らない。あとがきにおいて著者が「これをきっかけにして原典を手に取る人が増えることを祈る」と述べており、三十郎氏も「いつか読もう」とは思っているが、いつかがなかなかやって来ない。

表題の『走れメロス』は原典と真逆の構図を取りながら、原典と同じ真の友情を描くという意外性が凄まじい。森見作品の中で最も愉快な一篇ではないだろうか。

山月記』は悲劇のはずがどこか滑稽でもある。斎藤秀太郎ほどの傑物ではないにせよ似たような考えを持つ大学生は珍しくないだろう。三十郎氏もそうだった。大学生あるある的な要素に我が身を振り返って笑うしかないのである。

『藪の中』については少し気になることがある。鵜山たちへの印象や映画の受け取り方が人によって異なるというのはよくあることなので別段気にするようなことはない。一方で、映画の撮影における「虹」にまつわる事象については、渡邊、長谷川、鵜山が異なる「事実」を述べている。この矛盾する箇所にこそ話の肝があるような気がするが、どう解釈したものか。

これら三作に比して『桜の森の満開の下』や『百物語』の印象が薄いのは、原典を知らないというのが大きい気がする。やはり読まないとなあ。

おっぱいやそれに準ずる言葉は出てこない。原典のあるものを改変するにあたって引いた一線だったりするのか。

森見グルメ

進々堂 京大正門前。単行本p.57、81に登場。鵜山が渡邊に映画の撮影を持ちかけるシーン。p.145で男が斎藤秀太郎から返ってきた原稿を睨む喫茶店もここではないか。

ジュネス。単行本p.185に登場。森見登美彦氏がF君と待ち合わせをする店である。

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)