オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

森見登美彦『熱帯』の謎を追う

『熱帯』について語るときに三十郎氏の語ること

最初に本稿が森見登美彦氏の『熱帯』の解説や考察ではないという断りというか言い訳をしておきたい。謎は解決せず謎のままに語らねばならないので、三十郎氏の疑問に「答えはこうだよ」と応じてはいけない。三十郎氏が『千一夜物語』を読破した暁に本書を読み直す際の指針として今感じている疑問をまとめて残しておくメモである。つまり『千一夜物語』を読破せずして『熱帯』をもう一度読むことは叶わない。ニンジンをぶら下げることで『千一夜物語』の読了を促すというわけだ。

『熱帯』の著者は誰か

三十郎氏が本書に対して抱いた疑問は「『熱帯』を書いたのは誰か」という点である。森見登美彦氏の著作なのだから森見登美彦氏が書いたに決まっている、ゴーストライターの存在を疑うとは失礼な、という話ではない。本書『熱帯』の第四、五章に記されている文章を書いたのは誰かという疑問。とりあえず、三十郎氏が手にしている本自体(ISBN978-4-16-390757-4)を『熱帯A』(謎を深めるためにランダムで違う内容の異本が収録されている可能性は無視する)、作中において佐山尚一の著作として扱われる小説を『熱帯B』、第四、五章に記されている文章を『熱帯C』としておく。三十郎氏が読んだ『熱帯C』は一体誰が書いたのか。

  • 佐山尚一(『熱帯B』=『熱帯C』説)

とは言うものの、本書は佐山尚一の謎の小説『熱帯B』を巡る物語である。『熱帯C』を書いたのもまた当然佐山尚一だと考えるのが自然な気もする。これは考え方としては自然だが、読み方としては不自然でもある。第三章の最後で池内さんが書き記した文章は『熱帯C』の冒頭に他ならない。そこから物語は直接『熱帯C』へと進む。

  • 池内さん(作中順序説)

その点を踏まえた場合、順を追って読むと『熱帯C』は第三章の最後に池内さんが書き始めた物語の続きだということになる。『熱帯C』に登場する佐山尚一や千夜さん、今西氏、そして永瀬栄造から芳蓮堂に至るまでの全てに池内さんは『熱帯B』を追い求める過程で出会っている。今西氏に諭されたように『熱帯B』に取り憑かれた池内さんが現実と物語とを結びつけて『熱帯C』に反映させたとしても不思議ではない。しかしこれらは当然佐山尚一の関係者でもあるので佐山尚一が『熱帯C』を書いたのではないと断ずることは出来ない。

ここで第三の可能性を検討しよう。佐山尚一が熱帯から帰還した世界では『熱帯D』の著者として森見登美彦氏が登場する。森見登美彦氏が『熱帯D』を書いているのは間違いない。実は第三章の時点そこまでの物語が一度結末を迎えていて、後記における佐山尚一が森見登美彦氏の著作『熱帯D』に触れ再び門を開くという展開はありうる。

森見登美彦氏の『熱帯D』の存在を前提に佐山尚一の物語が始まるのなら、森見登美彦氏はどうやって佐山尚一たちのことを知ったのかという疑問が生じて、次章で触れるパラレルワールド的な話に繋がる。そして『熱帯C』が『熱帯D』であると断ずる根拠はない。

  • その他

千夜さんが「私の『熱帯』だけが本物なの」と言い残してアトリエで消失したように、『熱帯』に関わった人物それぞれに自分だけの本物の『熱帯』があるはずなのだ。

森見登美彦氏は「自分にとって小説とは何か?」というテーマで本書を書いている(下記リンク参照)。『熱帯C』では物語を紡ぐことが生きることそのものであるように示唆されているように思う。それぞれの人生を反映させた『熱帯』が、その謎を追った人物の人生の数だけ存在するのは間違いない。登場人物の皆が『熱帯』を書いている。こう考えれば、『熱帯A』を誰も読み終えることができず消失する理由も分かる。自分の物語は自分で語るより他にない。

誰かが『熱帯』を書いたという事実は、誰が『熱帯C』を書いたかを特定するのに役立たない。

「あらゆることが『熱帯』に関係している」というのは『熱帯A』の世界におけるあらゆることが『熱帯B』に関係しているということである。これを一つ上の次元に置き換えてみると、現実世界(森見登美彦氏の生きる世界)のあらゆることが『熱帯A』に関係している、込められていると意味になる。裏を返せば『熱帯C』の中に込められた要素から逆説的に著者を導くこともできるのではないか。この場合の『熱帯C』の著者は作中ではなく現実の森見登美彦氏と考えるのが妥当なような気もする。『熱帯C』には森見登美彦氏の小説や創作に対する考え方が詰まっているのだから。

『熱帯』を巡る構造

千と千尋の神隠し』に関するエッセイで語られているように、森見登美彦氏は神隠し的な異世界を身近なものと捉えている。これまでの作品では京都の街のどこかに入り口のある異世界へと読者を誘ったが、本書では『熱帯A』という本を異世界への入り口としていて、その中へと導かれるのは登場人物たちである。

作中の森見登美彦氏は『熱帯A』に触れることで『熱帯E』を書くことになるだろう。この『熱帯E』は佐山尚一が触れる『熱帯D』とは別物で、『熱帯D』に触れた佐山尚一が書くことになる『熱帯F』もまた『熱帯A』とは別物だろう。

シャハラザードの未完の物語が巡り巡って森見登美彦氏たちのところにやってくるまでには幾多の分岐を経ている。無数に存在する四畳半的パラレルワールドの内、読者が本書で触れたのはその中の二つということになる(三つかもしれない)。

『熱帯』の謎を追うどころか、『熱帯』の謎に追われている気分である。こうして自身の感じた疑問について考えていると、さっぱり分からなくなってきて早くもう一度読みたいという思いに駆られるが、その前『千一夜物語』を読まなければならない。先へと続く道は長い。

 

*追記

続編あり。

熱帯

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